ある。この期間にモネがアトリエ船を描いた油彩画の点数を8点とする先行研究もあるが、もう1点、個人蔵の作品〔図5〕もここに加えることができるだろう(注16)。制作時期は1874年と1876年に集中している。「第1回印象派展」の開催年でもある1874年には、修繕の終わった道路橋の近くに浮かぶアトリエ船が描かれている〔地図1〕〔図1、2、5~7〕。一方、2年後に制作された4点の取材地は、泊地から下流に進んだところにかつてあった中州マラント島の脇を流れる支流(プティ・ブラ)付近と考えられている(注17)〔図8~11〕。ワシントンの作例〔図6〕と個人蔵の作品〔図5〕は南岸のプティ・ジェンヌヴィリエから道路橋およびボート小屋を臨む構図、三重の作例〔図1〕とインディアナの作例〔図7〕は、道路橋の上からボート小屋、泊地を捉えた構図である。オッテルローの作例〔図2〕は、前出の4点に比べると手がかりが少ないが、橋から下流に進み南岸からアトリエ船を描いた作品であると考えられる(注18)。アルジャントゥイユ期にモネは多くの風景画を制作し、繰り返し同じ橋や船、建造物を画面に描き込んだ。アルジャントゥイユ移住後、モネが制作する作品の点数は著しく増え、1872年には60点以上もの油彩画が制作されている。興味深いことに、描かれた風景モチーフの多くは、作品間で整合性が取れており、写真や他の画家が描く景観とも矛盾しない。このことから、わずかな例外をのぞき、木々の高さや橋の構造の細部に至るまで、画家が忠実に画面に再現していることが分かる(注19)。さらに、船舶史的観点からも、モネを含む印象派の画家らが描いた船は、当時フランスで使用されていたヨットを細部まで忠実に再現しているという(注20)。これらを踏まえれば、主題そのものである船を画面中央に据えた、オッテルローの作例〔図2〕とメリオンの作例〔図8〕の特異性がいっそう際立ってくる。メリオンの作例では、船室の船尾側と船首側、いずれのドアも開放されており、船室の中で筆をとる画家の姿をはっきりと認めることができる。オッテルローの作例に関しても、仔細に見れば船内には人物が描かれており、これら2点がある意味ではアトリエの自画像であると同時に、画家自身の眼前には現れ得ない虚構性の強い風景であることが分かる。オッテルローの作例の静謐な画面の取材地は、実際には多くの船が航行・停泊する場所から遠く離れていないため、周囲の船が巧妙に消し去られているとも考えられる。4.三重・インディアナの作例の比較三重の作例〔図1〕は、道路橋の南端に近いところから下流を臨んで描かれてい― 103 ―― 103 ―
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