⑪ 平安時代前期の仏像彫刻の着衣にみられる衣文について研 究 者:熊本県立美術館 主任学芸員 萬 納 恵 介はじめに仏像彫刻の表現は時代により様々な姿をみせ、それらは時に時代を代表する表現として、制作時期を判断する指標にもなる。本報告では、そうした典型の一つとして平安時代前期の仏像彫刻の着衣にたびたびみられるようになった衣文に注目し、特に翻波式衣文を取り上げる。翻波式衣文は、丸みを帯びた大波と鎬たった小波を繰り返す衣文表現の一形式で、この衣文があらわされていれば、まず平安時代前期の制作の可能性やそれにならう表現と理解して検討されることがしばしばある。しかし、翻波式衣文がいつ、どこで、どのような事情で成立したかについて考察した専論は見受けられず、日本における発展過程を跡付けるのは難しい。本報告では、まずそうした翻波式衣文に関連する問題の解明を試みる。なお、九州においては、Ⅴ字を描く衣文線がみられる作例が平安時代前期を中心に散見される。これまでの先行研究では、九州ならではの表現のように述べられることが多かったが、実際には畿内の作例を規範として地方に波及していった衣文表現の一つで、その点、翻波式衣文の発展過程と重なる部分があるように思われる。本報告では、この点についても考察し、平安時代前期における彫刻様式の展開過程を探る一助としたい。1 「翻波式衣文」についてまず、翻波式衣文がいかなる衣文であるのか、その要点を整理しておきたい。西川杏太郎氏は、翻波式衣文を「翻る波のような衣のひだ」という意味としたうえで、滋賀・向源寺十一面観音立像を例に説明している(注1)。すなわち、向源寺像の衣文を断面図に起こしてみると、波頭が砕け始めるように見える大波と、先端がとがった小波が交互に繰り返されており、それによりひだが形成されているのである。そして、時代が下ると、形がだんだんと崩れ、鎬も鋭利さを失っていくと述べる。以上のことから、翻波式衣文とは、「丸みを帯びた大波と鎬たった小波を繰り返す衣文表現」を指すことが知られる(注2)。日本における代表作としては、先に触れた向源寺像のほか、奈良・元興寺薬師如来立像や奈良・法華寺十一面観音立像が取り上げられることが多く、代表的な作例のほとんどが平安時代前期の作例とみなされている。したがって、翻波式衣文が確認されれば、平安時代前期の作、ないしはその時― 111 ―― 111 ―
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