V字形衣文は、文字通りV字状のラインを描く衣文線をあらわしたもので、北部九州の作例に盛んにあらわされるとして取り上げられてきた表現である。代表作としては、福岡・浮嶽神社如来立像が挙げられ、井形進氏によれば、基本的に側面から拝した時に確認することができ、衣文線がV字状のラインを描くほかに、V字の頂点を結ぶようにして鎬があらわされるのが特徴という(注12)。そして、重要な如来形立像に選択的に使用されることが多く、類例としては、福岡・谷川寺薬師如来立像や、福岡・観世音寺伝阿弥陀如来立像などがあげられ、やがて福岡・北谷地蔵堂地蔵菩薩立像のように使用のあり方にゆるみを生じながら、最終的に11世紀以降はあらわされなくなったとしている。塑的な表現にとどまるという指摘がなされてきたものの(注9)、神護寺像は木をえぐり取るような執拗なまでの深い彫り口であらわされ、さらに、元興寺像は、形状の異なる波が豊かにあらわされ、新薬師寺像の表現をさらに発展させたかのような表現で、より変化に富む。そして、法華寺像や向源寺像に至ってようやく定型化のきざしをみせる。このことから、木彫技術が短期間の間に格段に飛躍したことがうかがえるが、背景には先行研究で盛んに議論されてきた鑑真来朝に伴う檀像の概念の浸透が想定される(注10)。以上のように、翻波式衣文は奈良時代の官営工房における旺盛な新様式摂取の動きの中で日本彫刻史に登場し、鑑真来朝を契機として木彫への応用に移行していったことがうかがえる。その表現は作例によってさまざまであり、実際には翻波式衣文という単語のみで言いあらわされるべきではないかもしれないが、平安時代以降の彫刻表現の多様化において重要な表現の一つであることは疑いない。2 衣文表現の展開8~9世紀は翻波式衣文のみならず、様々な衣文表現が盛んにあらわされるようになった時代として注目される。これまでの研究や、調査現場においては、渦文(旋転文ともいう)、茶杓形衣文、松葉形衣文が取り上げられることが多かったが(注11)、本報告では新たにV字形衣文に注目したい。そのうえで、北部九州でⅤ字形衣文が多くあらわされるようになったきっかけについては、谷川寺像の位置づけが重視されてきた。国生知子氏によれば、谷川寺像は神護寺薬師如来立像と類似する点があることから、彼我の影響関係が想定され、谷川寺像は畿内の仏像に規範があるという(注13)。一方で、V字形衣文は北部九州の作例に通有の表現であるとの見方から、谷川寺像は畿内の仏像に規範を求めながら、造形― 113 ―― 113 ―
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