鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ 西川杏太郎「素地截金・鉈彫・翻波式衣文など─用語解説に代えて─」(『日本の美術第224⑵ 本報告では、「翻波式衣文」の展開だけでなく、美術史における専門用語としての成立事情についても明らかにすることを試みたが、1919年に源豊宗氏が、奈良・室生寺伝釈迦如来立像にみられる丸みをもたせた稜線1条と、鎬だった稜線2条の計3条を繰り返しあらわす衣文を「複翻波式」と呼称し、「翻波式衣文」用語の応用がなされていることから、明治~大正初期にず、股間をY字状に垂下する衣文線も表面的な模倣にとどまり、本来の目的である太ももの量感表現に結実していないなど、基本的な部分で及ばない点がある(注18)。このことは宮田太樹氏が述べるように工人の技量に差に帰せられると思われる(注19)。宮田氏によると、工人の技量の差は浮嶽神社像との比較によって明確に導き出され、浮嶽神社像は畿内、谷川寺像は在地の仏師による制作とみなされる一方で、いずれも当時畿内と強い結びつきを持っていた観世音寺周辺での造像であることを指摘しており、先述の畿内から地方への波及という想定が裏付けられるように思われるが、この点については今後さらに検討を続けていきたい。おわりに本報告では、まず、平安時代前期の仏像彫刻の最大の特徴の一つである翻波式衣文の定義を具体化し、その成立事情を考察することを目的とした。かつては、翻波式衣文があらわされていれば、まず平安時代前期制作の可能性が検討されることもあったが、近年は東大寺法華堂不空羂索観音立像など奈良時代に制作された乾漆像や塑像にすでにあらわされていることから、より広い視点で奈良時代の乾漆像や塑像とそれ以降の時代に制作された木彫像との間を埋める作業が試みられている。翻波式衣文の研究は、そうした研究態度のもと、今後も検討が進められていくべき特徴と言えよう。また、従来九州ならではの表現かのように述べられてきたⅤ字形衣文に注目し、日本という全体を見通しての視点で検討を加えたことで、より具体的に中央から地方への様式の普及・発展の経過が明らかにできたように思う。ただし、特に翻波式衣文に関する部分については、作例それぞれに関する先行研究すべてに当たれたわけでなく、要点の整理のみにとどまり、最大の目的としていた用語としての「翻波式衣文」が美術史研究においていつから使用されるようになったかについては明らかにできなかった。今後は作例個別の検討を深めて、より具体的に発展の経過を明らかにしていきたい。号近江の仏像』至文堂、1985年)― 115 ―― 115 ―

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