⑺ 水野敬三郎「平安時代前期の彫刻」(『日本美術全集第5巻 密教寺院と仏像』講談社、1992年)⑻ 川瀬由照「唐招提寺の仏像─乾漆仏と木彫仏の交流と展開」(『日本美術全集第3巻 東大寺・正⑿ 井形進「竈門山寺の最澄造立の檀像薬師」(『市史研究ふくおか』13、2018年)⒀ 国生知子「谷川寺の薬師如来立像」(『九州の寺社シリーズ19 筑後八女谷川寺』九州歴史資料⒂ 作例の確認中に、奈良・笠区薬師如来立像や、兵庫・成相寺薬師如来立像にもⅤ字形衣文があらわされているとの教示を得たが、詳細について未確認のため取り上げなかった。また、皿井舞氏によれば、静岡・願成就院毘沙門天立像など、運慶を嚆矢として鎌倉時代の作例にⅤ字形衣文が認められるというが、私見によれば松葉状衣文の派生形と解されるために取り上げなかった作例がある(「高山寺の歴史と明恵上人坐像」(「特別展 国宝 鳥獣戯画のすべて」図録、東京国立博物館、2021年)。⑶ 倉田文作『日本の美術第44号 貞観彫刻』(至文堂、1970年)⑷ 他に、鳥取・上淀廃寺出土菩薩像断片、京都・観音寺十一面観音立像、大阪・慶瑞寺菩薩坐像、⑸ 藤岡穣氏は、現存作例が少ないため中国における系譜をたどることは困難とする一方で、8世紀半ばの統一新羅時代に制作された作例に複数確認されるため、翻波式衣文は当該時期の統一新羅で流行したとする。その上で、東大寺法華堂・不空羂索観音立像について取り上げる中で、遣唐使や遣新羅使による公的な往来を翻波式衣文の日本伝来の契機と指摘している(「東大寺法華堂伝来の天平期所蔵に関する一考察」『東アジア仏像史論』中央公論美術出版、2021年)。⑹ 川瀬由照「聖林寺十一面観音像の制作と智努王」(吉村怜博士古稀記念会編『東洋美術史論叢』⑼ 西川新次「薬師如来坐像(本堂)」(『大和古寺大観第四巻 新薬師寺・白毫寺・円成寺』岩波⑽ 鑑真来朝に伴う檀像概念の浸透に関する先行研究の要点は、淵田雄「新宝蔵の木彫」(『唐招提寺─美術史研究のあゆみ─』里文出版、2016年)に詳しい。なお、藤岡穣氏は将来檀像の一例とみられる山口・神福寺十一面観音菩薩立像の条帛にみられる衣文を翻波式衣文の原初的な表現と指摘している(「様式からみた新薬師寺薬師如来像」『東アジア仏像史論』中央公論美術出版、2021年)。⑾ それぞれの特徴は、岩佐光晴「コラム「衣文」」(「特別展 仏像 一木に込められた祈り」図録、⒁ 井形進「牛頭山谷川寺の仏像─平安時代と鎌倉時代の古像について─」(「八女の名宝」展図録、九州歴史資料館、2016年)、注⑿前掲井形氏論文、宮田太樹「谷川寺・薬師如来立像の造像背景をめぐる一考察─八幡信仰との関わりを中心に─」(『デ アルテ』34、2018年)。⒃ 林宏一「越谷市野島浄山寺の木造地蔵菩薩立像─関東地方初期一木彫製像の新資料として─」⒄ 花澤明優美「長野市松代町・清水寺の平安前期木彫諸像について」(『美術史』187、2019年)⒅ なお井形進氏は、谷川寺像は、最澄が延暦22年(803)に遣唐使船の無事を祈願し、九州の様式を取り入れる形で大宰府の竈門山寺において造像した檀像の薬師如来像四軀を彷彿とさせる使われはじめたことを推測するにとどまった(「美術史雑記─室生の美術」『仏教美術』8、1919年)。香川・願興寺観音坐像、奈良・西大寺阿閦如来坐像(四仏のうち)があげられる。雄山閣出版、1999年)など。倉院と興福寺』小学館、2013年)書店、1977年)など。東京国立博物館、2006年)に詳しい。館、2004年)(『仏教芸術』346、2016年)― 116 ―― 116 ―
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