鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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研 究 者: 西南学院大学大学院 国際文化研究科 博士後期課程 西南学院大学 非常勤講師 西南学院 学院史資料センター アーキビスト  宮 川 由 衣1950年にフランス東部、スイスとの国境に近い高台の小村アッシーにノートル゠ダム゠ド゠トゥト゠グラース教会(以下アッシー教会)〔図1〕が献堂された。その装飾にはレジェやマティスなど20世紀の美術史上に名を残す芸術家をはじめとし、20名以上の芸術家が参加している。この教会を嚆矢として、1950年代のフランスでは現代芸術家が手がけたヴァンス・ロザリオ礼拝堂(マティス、1951年)やロンシャン・ノートル゠ダム゠デュ゠オー礼拝堂(ル・コルビュジエ、1955年)が献堂されている。これらは教会芸術のモダニズム化を牽引したマリー゠アラン・クチュリエ神父(Marie-Alain Couturier 1897-1954)の「聖なる芸術(アール・サクレ)」運動の成果であった。アッシー教会では宗教的信条や政治的イデオロギーに関係なく、非キリスト教徒の芸術家にも教会の装飾が依頼された点が注目されるが、無神論者であった彫刻家ジェルメーヌ・リシエ(Germaine Richier 1902-59)による教会の主祭壇に置かれたキリスト像《十字架上のキリスト》〔図2〕をめぐって論争が起こった。肉体や衣の細部表現を簡略化した抽象的な磔刑像は、献堂後まもなく一部の保守的なカトリック信者による激しい非難に晒されて撤去された。この事件はヴァチカンをも巻き込む論争へと発展する。そこでは「無神論者が教会という聖域を装飾できるのか」、「聖なる芸術と抽象芸術は適合できるのか」が争点となり、この教会の芸術監修を務めたクチュリエ神父は「才能を欠く信者より、信仰のない天才に任せた方がよい」という立場を表明した。ヴァンスやロンシャンの礼拝堂がその芸術性を高く評価されてきた一方で、複数の芸術家が装飾に参加し、様式的統一性に欠けるアッシー教会がモダニズム教会の代表作としてその名を挙げられることはない。しかし、アッシー教会におけるキリスト像撤去事件に端を発する「聖なる芸術論争」は、20世紀最大の聖像論争として美術史上特筆すべき出来事である。本稿はモダニズム教会の先陣を切ったアッシー教会に光を当て、その歴史的意義を再考するものである。⑫ クチュリエ神父の「聖なる芸術(アール・サクレ)」運動とアッシー教会序― 119 ―― 119 ―

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