鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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1.20世紀フランスにおける「聖なる芸術」運動アッシー教会とクチュリエ神父を中心とした「聖なる芸術」運動をめぐっては、ルービンによる包括的研究(注1)にはじまり、ラヴェルニュ、リオン、コセらによって論じられてきた(注2)。上記の研究に加え、特にリシエのキリスト像の撤去に注目したものとしてオレンダフによる分析が挙げられる(注3)。国内では矢内原伊作(1918-89)が1957年6月刊行の『みづゑ』において、1956年夏にこの教会を訪ねた印象を綴っている(注4)。その後しばらく途絶えるが、近年「聖なる芸術」運動やその成果としてのモダニズム教会建築についての研究が活性化し、この教会について言及される機会も増えてきている(注5)。味岡京子は20世紀前半のフランスにおける宗教芸術の分野での女性芸術家の活動について中心的に論じるなかで、「聖なる芸術」運動が起こった背景を明らかにし、1930年代後半からのクチュリエ神父を中心とした運動についても批判的に論じている。第一次世界大戦はカトリック国フランスに愛国心の高まりをもたらし、エリート若年層がカトリシズムに傾倒していった。彼らの関心は宗教芸術にも及び、大量生産される、いわゆる「サン゠シュルピス風(saint-sulpicien)」の美術(注6)と呼ばれる悪趣味で粗悪なものへと宗教芸術が堕落してしまったことを嘆き、その解決策を中世をモデルとした共同組合的工房(宗教芸術団体)の創設に求めた。1919年にモーリス・ドニとジョルジュ・デヴァリエールによって創設されたアトリエ・ダール・サクレは、キリスト教的生活に根差し、反個人主義に基づく共同制作によって特徴づけられ、そこには多くの女性芸術家が参加していた(注7)。後述するように、クチュリエ神父はそこで芸術家としての修練を積んだ後、神父としての道を歩んでいる。アッシー教会においては、宗教的信条や政治的イデオロギーに関係なく、非キリスト教徒の芸術家にも教会の装飾が依頼された。この点でクチュリエ神父を中心とした「聖なる芸術」運動は、キリスト教的共同体への理想と実践という性格を持った従来の宗教芸術運動とは一線を画すものであった。アッシー教会と「聖なる芸術論争」について中心的に論じた先行研究として、後藤新治による論文(注8)が挙げられる。本稿では、アッシー教会について、リシエのキリスト像の撤去を発端とする「聖なる芸術論争」に注目したオレンダフや後藤の先行研究を踏まえ、この問題を聖像論としてさらに展開する。2.クチュリエ神父と「聖なる芸術」運動クチュリエ神父はアメリカ滞在を経て、「教会を活性化する最も重要な要素は、現― 120 ―― 120 ―

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