結才能を欠く信者より、信仰のない天才に任せた方がよい。大芸術家というものは常に霊感によって作品を創り出す、生れながらにして霊的な直観力を具えているからである」(注21)と主張した。この騒動の発端となったビラにおいて注目すべきは、「アッシーのキリスト(Le Christ dʼAssy)」とこうあって欲しいという「サン゠シュルピス風」のキリストとが並置され、前者が非難されている点である。クチュリエ神父が嫌悪した「サン゠シュルピス風」のキリストこそが、一部の保守的なカトリック信者の求める理想のキリストであったのはなんとも皮肉である。教会を活性化するために、現代美術の抽象的で非再現的な様式を取り入れようとしたクチュリエ神父の理想は、キリスト像においては頓挫せざるを得なかった。瘡蓋を思わせる凹凸を強調した生地で仕上げられた「アッシーのキリスト」は目を背けたくなるような生々しさがあり、ある種の戦慄をも喚起する(注22)。それは伝統的なキリスト像、特に甘美な「サン゠シュルピス風」のキリストからはかけ離れている。祭壇から下され、当時死者礼拝室に置かれていた像を見た矢内原はその印象を「「ヴェロニクの礼拝堂」にはジェルメーヌ・リシエのすさまじい彫刻「磔刑」があるが、このキリストには十字架そのものになりきったような抽象的性格とミイラのようななまなましい現実性がある」(注23)と伝えている。また、この像が非難されたのは、伝統的なキリスト像から逸脱するものであったという点に加え、「戦後この像を見たカトリック教会や信者の多くがそこに「ナチズムによって犠牲になった身体」を読み取ったため」(注24)という指摘もある。「アッシーのキリスト」は、主祭壇という重要な場に置かれていたという理由だけでなく、その造形により人々の注目を集め、ヴァチカンをも巻き込む聖像論争へと発展した。カトリック教会の伝統的なキリスト像から離れ、新たなキリスト像の造形に挑んだ彫刻家の創造性、この作品自体が持つ力は無視できない。クチュリエ神父の「聖なる芸術」運動の最初の成果であったアッシー教会は、その後のモダニズム教会に比べて様式的統一性を欠いている。モダニズム教会の代表作として評価されるヴァンスやロンシャンの礼拝堂においては、ひとりの芸術家が設計から装飾まで総合的に手がけている。これに対し、複数の芸術家が共同で装飾に携わったアッシー教会は、共同制作によって特徴づけられる19世紀以来の中世をモデルとした宗教芸術運動の性格を残している。その一方で、宗教的信条や政治的イデオロギーに関係なく、非キリスト教徒の芸術家にも装飾が依頼され、多様な価値観が同居する― 124 ―― 124 ―
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