注⑴ Rubin, William S., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, New York and London: Columbia ⑷ 矢内原伊作「アッシィの教会堂」『みづゑ』第623号、美術出版社、1957年6月、33-37頁。⑸ 味岡京子『聖なる芸術─20世紀前半フランスにおける宗教芸術運動と女性芸術家』ブリュッケ、2018年;後藤新治「1950年献堂のアッシー教会と「聖なる芸術」─ジョルジュ・ルオーとジェルメーヌ・リシエのキリスト像をめぐって」『ジョルジュ・ルオー─聖なる芸術とモデルニテ』展図録、パナソニック汐留ミュージアム、北九州市立美術館、NHKプロモーション、2018年、8-15頁;土居義岳『建築の聖なるもの─宗教と近代建築の精神史』東京大学出版会、2020年。University Press, 1961.⑵ Lavergne, Sabine de, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■, Namur: culture et vérité, 1992; Lion, Antoine (éd.), ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (1897-1954)■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■, Nice: Serre, 2005; Caussé, Françoise, ■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (1945-1954), Paris: Cerf, 2010.⑶ Orenduff, Lai-kent Chew, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, New York and Ontario: Edwin Mellen Press, 2008.⑹ 当時パリ6区のサン゠シュルピス教会付近では土産物屋で扱うような大量生産による俗悪な宗教的オブジェが売られていた。そこから派生し、低俗な宗教美術を揶揄して「サン゠シュルピス風」の美術と呼ぶようになった。⑺ 味岡はクチュリエ神父の「聖なる芸術」運動においては「宗教性」から「精神性」に価値がシフトされ、宗教的価値に含まれる「女性的」なるものが、精神性を重視する20世紀のモダニズム芸術観のもとで否定されていったと指摘している(味岡、前掲書、69-105頁)。⑻ 後藤、前掲論文およびこの論文に加筆訂正を行なった以下の論文。後藤新治「1950年献堂のアッシー教会と「聖なる芸術」─ジョルジュ・ルオーとジェルメーヌ・リシエのキリスト像をめアッシー教会のプロジェクトは、キリスト教的共同体への理想に基づく従来の宗教芸術運動とは異なる新たな試みであった。複数の芸術家による様々な様式の作品が混在するこの空間で、主祭壇というとりわけ目を引く場所に置かれたリシエのキリスト像をめぐって論争が起こったことは美術史に記憶されるべきであろう。カトリック教会は第2ニカイア公会議(787年)およびこれを踏襲したトレント公会議の聖像をめぐる教令(1563年)において、「像」と「原型」を峻別し、聖像崇敬の神学的正統性をみとめてきた。その論理からすれば、「像」に対する祈りはあくまでも「相対的」な祈りである。しかし、実際の信仰生活においては、人々は「像」そのものに対して、しばしば感情的に祈りを寄せてきた。リシエのキリスト像が一部の保守的なカトリック信者の猛攻撃にさらされたのは、それが聖像の「禁忌」に触れるものであったからではないだろうか。― 125 ―― 125 ―
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