像」(自賛像)、天明2年(1781)に「天柱慧然像」と「五百羅漢像」(2幅)も描いているようである(注15)。このほか、大法院(京都府京都市)に蔵される同寺の校割帳(寛政11年・1799年)にも水谷憬南の名が登場する。同書に書き上げられている「十六善神」の寺宝名称とともに「[釈尊文殊普賢ハ徳栄筆/余ハ水谷景南筆 一幅]」との記載があり、木村徳栄との合作の可能性があり興味深い(大法院に現存せず)。このように、水谷憬南は頂相以外も手掛けており、作画領域も仏画を中心に多岐にわたる可能性が考えられる。今後の新出資料に期待したい。(2)中天景団水谷憬南と同じく、近世において数点の頂相作例を確認できる絵師がいる(注16)。絵師とはいえ、龍泉派景堂門派に属す妙心寺派の禅僧の中天景団である。無禿寺(愛知県岡崎市)に3世として住しているが、行状などは詳らかでない。現在、6点の頂相作例を見出すことができた(注17)。〈中天景団・頂相作例〉①万重東関像 自賛 元禄10年(1697) 天祥院(京都府京都市)②淡道宗廉像 寧山良泰賛 宝永3年(1706) 大法院(京都府京都市)③密水慧定像 曇宗祚森賛 正徳2年(1712) 曹源寺(岡山県岡山市)(注18)④関山慧玄像 黙雲禅宜賛 正徳5年(1715) 妙心寺(京都府京都市)⑤雲外東竺像 自賛 正徳6年(1716) 両足院(京都府京都市)(注19)⑥東法純季像 古月禅材賛 享保11年(1726) 恵林寺(山梨県甲州市)⑦頂相(像主不明) 江戸時代(17~18世紀) 大心院(京都府京都市)上記の通り、妙心寺、天祥院、大法院、大心院といった本山(塔頭を含む)での制作が目立つ。さらに妙心寺派寺院のみならず、建仁寺塔頭・両足院にも作例が伝来する点は興味深い。いずれの作例からも絵師としての高い画技を看取することができ、専門画僧的な活躍が想定される。なお、中天景団は良哉元明賛「布袋図」(愛知県西尾市・花岳寺)や「四睡図」(京都府京都市・麟祥院)といった頂相以外の作例も遺している。これらの作品からは、古画にも通じ、狩野派の要素を看取することができ、同時代の狩野派絵師に学んだ可能性も考えられる。― 5 ―― 5 ―
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