鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
145/549

悪さを感じるのは、性差のバイアスにとらわれているからにほかならない。市川の作品は「美人画」という枠組みを用いて、美術史が培ってきた偏向をあぶりだしている。【3】吉田 芙希子吉田芙希子(1988~)は、主にレリーフによって、美青年のイメージを表現する。彼女はモデルの写生は行わず、脳裏に浮かんだ理想の美青年を少女マンガ的な様式の線画で描き、それを立体に起こして、滑らかな表面を持つ純白で巨大な顔を作り上げる〔図9〕。大学在学中の2009年から美青年というモチーフに取り組んできた吉田にも、当初から「後ろ指を刺されるような感覚」があったという。最初に発表した作品は美青年を神仏のイメージになぞらえたもので、その時の心境を「何か(神仏)の力を借りないと美青年は描けないと思った」と振り返る。ここには本展第1章の、神仏やヒーローを美少年の姿で描く作品群との類似が指摘できる。頭部のみを巨大なレリーフで表現する理由について吉田は「顔以外の部分に興味がない」、「男性性を消したい」、「人間を超越した存在にしたい」と説明する。身体性や男らしさを意図的に回避し、目指しているのは「ただ美しいだけで役に立たない存在」だという。これは歴史画や肖像画など権威の象徴となる男性像の対極に位置するものだ。巨大な彫像でありながら、ただその美しさを眺められるだけの存在は、モニュメンタルな男性像の歴史に対する挑戦ともとらえられる。【4】唐仁原 希唐仁原希(1984~)は、西洋古典絵画に倣った技法でアニメやゲームのキャラクターを思わせる目の大きな少年、少女を描く〔図10、11〕。2010年代中頃まではモチーフの大半を少女が占めていたが、徐々に少年をメインとする作品が増えてきた。「以前は少年を描くことが恥ずかしかった」という唐仁原は、本展への出品について「自分が来たかった場所に来られた」と言い表した。少年マンガやロール・プレイング・ゲームの影響下で育った作家の根底には、宿命を負った少年が傷つきながら戦う物語への憧れがある。唐仁原が描く少年は愛でる対象ではなく、「少年マンガのヒーローになりたい」という同化願望の表れであり、また未熟な者への共感の象徴でもあるという。こうした心情を少年像として表現することへのためらいがなくなったのは、エンターテインメントの領域で美少年キャラク― 136 ―― 136 ―

元のページ  ../index.html#145

このブックを見る