鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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(3)円水宜応中天景団以外にも近世において頂相を描いた禅僧がいる。中天と同じく妙心寺派僧の心光院(静岡県静岡市)6世・円水宜応である。円水宜応の作例は、春日局の菩提寺として名高い麟祥院(東京都文京区)に遺されている。同寺歴代頂相のうち頑海慈湛賛「渭川周瀏像」(明和3年・1766年)および頑海慈湛賛「義山全應像」(明和5年・1768年)の2幅である(注20)。円水宜応の行状は詳らかでないが、「渭川周瀏像」の巻留墨書「開山禅師肖像[城州淀養源寺円水応座元画/当山八世遠孫頑海慈湛謹置焉](後略)」や、箱書(箱蓋裏墨書)「維時延享四龍集丁卯季秋二十有六蓂設焉/山城淀府養源寺円水和尚筆 現住頑海謹誌」が行状を知るひとつの手掛かりとなり得る。「義山全應像」においても箱書(箱蓋裏墨書)に「淀養源閑居円水応禅師画 [明和五年戊子八月十八日三周厳忌/現住劣孫郁桂謹記]」とあり、これらによると、円水は山城国(京都府)淀の養源寺に住していたようである。また妙心寺関係資料を繙くと、養源寺の法系にて住持職が嗣がれていたと考えられる心光院(静岡県静岡市)にも6世として住持している。現在、養源寺は廃寺となり寺史などの詳細は明らかでない。ここで注視すべきは、本画像が伝来する麟祥院と養源寺とが稲葉家ゆかりの禅刹であることである。さらに、この点に関して興味深い作品がある。多福寺(大分県臼杵市)に伝来する「達磨・臨済・徳門像」〔図3〕である。通常の頂相とは異なる祖師像の作例であり、本作は画面向かって右端に「多福禅寺」と墨書され、そして左端上に「淀上前養源応円水粛図/時齢八十」の款記と「応杜多」(朱文方印)・「号曰円水」(白文方印)の印章が認められる。款記によって80歳の作品であることが判明する点、重要な作例に位置付けられるが、ここにおいては本作が稲葉家ゆかりの寺院に伝来することに着目したい。これまでに確認することができた円水の作品は、麟祥院に残された「渭川周瀏像」「義山全應像」と多福寺の「列祖像」の3点に限られるが、いずれも稲葉家の由緒寺院に伝来する点で共通する。すなわち、円水が住した養源寺と同じく稲葉家ゆかりの寺院にて作画を行っていたことが推測される。なお、淀に程近い八幡福禄谷に伽藍を構える円福寺(京都府八幡市)に、「沙門円水」(白文方印)をともなう「列祖像」が蔵されている。したがって、この「列祖像」も円水宜応の作例と推測されるが、本画像は「沙門円水」(白文方印)とともに「天年山主」(朱文方印)の一顆が捺されていることにより、円水作品とみなすことに疑問が生じる。天年山は山号とおもわれるが、円水宜応の由緒寺院の山号とは異なる。そこで、天年山を山号とし、円水と名乗った禅僧が住した禅宗寺院を絞り込むと、天― 6 ―― 6 ―

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