鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
152/549

⑭ 四川省成都出土の天王像に関する考察研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  馬   歌 陽はじめに2014年に四川省成都の旧市街である下同仁路で、単体の如来像、菩薩像、天王像や、大きな蓮弁形の光背をもついわゆる背屏式造像などの石造仏像が合計100余件出土した。紀年造像銘を有するものによって、南朝の梁から唐にかけて造られたと推定できる。そのなかには南北朝時代の年号をもつものが6点ある。すなわち、梁の天監15年(516)、普通5年(524)、大同2年(536)、中大同2年(547)、天正3年(553)(注1)、北周の天和3年(568)。これらの新出土仏教造像には新しい様式と題材を表している作例が見られ、二体の独尊の天王像はその一つである。言うまでもなく、仏教の天王は、経典に説かれるように仏法の守護神とされ、武装している姿で国家守護や現世利益など多様な役割を担う護法善神である。インドでは豪華なターバンを飾り、貴族風の姿を示す天王像が一般的である一方、鎧を着装している天王像は中央アジア石窟の仏涅槃図に現れるようになった。こうした鎧をまとう天王像は西域から中国へ伝来し、さらに朝鮮半島や日本に広まった。東アジアの天王図像には着鎧の天王がしばしば定番とされてきた。敦煌莫高窟第285窟西壁に描かれている四天王像は、「大代大魏大統五年(539)」の紀年造像銘によって、中国で現存の早い四天王像の作例として挙げられる。これらの四像は武装の姿であらわされ、それぞれ宝塔や筆などの持物を執っている。一方、四川省成都市の万仏寺址から出土した普通4年(523)造釈迦文仏像(以下、普通4年像とする)〔図3〕には右手に宝塔を捧げながら、天衣を付けている立像がみられる。本像は背屏式群像の正面の前列左側に配置され、その右側には対称的に右手に武器のようにみえるものを執り、鎧をまとっている像が立っている。この二像は天王像であり、特に宝塔を片手に支えている左像は毘沙門天像であることが指摘されている(注2)。そこで本研究は下同仁路で出土した二天王像とこれまで成都市内で出土した南朝時代とされる諸作例の天王像や武装人物像にみられる特徴的な鎧に注目し、その様相と形制を検討したい。なお、本研究の成果については既に『仏教芸術』第7号(2021年10月)において「四川成都出土の天王像の鎧について─下同仁路出土像を中心に」を題として発表した。紙幅の都合上、本報告論文は調査研究の要点を記述し、詳細は上記の論文に譲る。― 143 ―― 143 ―

元のページ  ../index.html#152

このブックを見る