鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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る。宝珠形の頭光を負った本像は、冠をかぶり、濃い鬚髯を蓄えている。眉をわずかに寄せ、眼を見開いて眼尻をやや吊り上げ、軽く開口するが、表情は比較的穏やかである。胸の正面で剣らしいものの柄を右手で握り、左手は左腿辺りで下方を握る。着装の鎧をみると、高く目立つ頸甲を首回りに着け、正面で突き合わせて留めている。左右の胸に円形のプレート(護心鏡)のある膝上丈の鎧をつけ、胸甲の表面に小札を表さず、上腹部で十字形にベルトを締めて華状の飾りをつける。こうした形制の鎧は、次章で詳述するように南北朝時代に出現した「明光鎧」である。両肩を披膊で覆い、その上から肩布を掛けて上腕の内側から体側を台座下框まで垂下させている。鎧の下には袖口の寛い衣を着て、裳裙をつける。右脚を下ろし、左足を右脚の太腿に軽くのせ、沓を履いている。台座正面の踞坐する鬼形像は、短躯の裸形で披帛と褌、腕釧・足釧だけを着け、縮れた髪で丸い顔に短い鬚髯を生やしている。左手で天王の左膝を持ち上げ、右手に天王の右足を托す。〔図2〕の像は両手で腹前で宝塔を奉持して方形の台座に倚坐し、足元に二体の鬼形像がみられる(以下、倚坐像とする)。同材質の紅砂岩で造られ、総高は37.5センチ。台座は上下とも二段の框を設け、長辺24.3センチ、幅12センチ、高さ14.5センチ。全体に薄い黄色を施した痕跡が残っている。頭光と頭部の上半分は欠失したが、同じく宝珠形の頭光を負っていたと考えられる。宝冠については確認できないが、戴いていた可能性が高い。濃い鬚髯を生やし、面貌は損傷しているものの顎の張り方や口唇の表現は遊戯坐像と近似する。鎧の表現を確認すると、高い頸甲をつけ正面で突き合わせて留めている。鎧は胸部と背部の胴甲を肩のベルトで連結させる形式で、腰に帯を巻いて固定させている。胸甲の表面には小札の表現がみえず、遊戯坐像と同様に一続きで表している。こうした形式の鎧は「裲襠鎧」といい、次章で詳述するように南北朝時代に流行していた。鎧の下には長袖の衣と肘丈の衣を重ね、それぞれ手首と上腕部で括っており、肩布を上腕部に羽織って正面で結ぶ。下框の上段に両足を下ろし、下半身には襞を畳んだ短裳と足首を搾った袴を着け、さらに脛甲で覆って、沓を履いている。台座下框の下段に胡跪した二体の鬼形像がおり、丸顔で目を見張り、縮れた髪をしている。上半身が裸で肩に披帛を掛け下半身に褌を着け、腕釧と足釧の表現がみられる。足指は五本を数える。本天王像の最大の特徴は正面で宝塔を奉持することで、左手で単層の宝塔の底部を支え、右手を塔の相輪部に添えている。宝塔は斜めから見たような向きで表され、反― 145 ―― 145 ―

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