⑮ アーニョロ・ブロンヅィーノの後期絵画様式に関する研究研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 助教 瀬 戸 はるかはじめに本稿は、16世紀フィレンツェの画家アーニョロ・ディ・コジモ、通称ブロンヅィーノ(1503-72年)による後期の絵画作品《キリストの降誕》(1564年)〔図1〕における聖家族の身振りと空間構成の源泉となった先行作品および画家の意図を解明し、研究史では否定的に捉えられがちなこの画家の後期作品を新しい観点から再評価することを目的とする。本作を含むこの画家の後期様式に典型的な強く形式化された人物の身振りおよび現実離れした空間構成は、この画家をめぐる研究史において否定的に理解されることが多い(注1)。その一方で、人物像の身振りの多様性、明暗を意識して組み立てられた対角線を重視する空間構成を、画家の意図的な試みとしてとらえる意見もある(注2)。以上の研究史を踏まえ、本研究ではこれまで具体的に検討されて来なかった人物の身振りについて、その源泉となった先行例を作品比較によって提示する。これにより、本作は16世紀フィレンツェ美術の中心的手本であった作品だけでなく、前の世紀にさかのぼる当地の歴史的遺産にも注目して人物の身振りと空間構成を再解釈し視覚化した作品であることが明らかとなる。本作は、ブロンヅィーノにおける革新性と伝統の継承を強く意識した自己定義を意図した作品として位置づけることができるだろう。1.《キリストの降誕》について本章では、はじめに《キリストの降誕》の視覚的な概略を示し、続けて本作の制作背景を注文主と画家との間で交わされた書簡から明らかにする。さらに作品に対する同時代の評価を再度検討することで、形式化された人物像および空間構成に対する20世紀以降の否定的な評価と同時代の評価との不一致を指摘し、現代では否定的に捉えられた要素が16世紀においては積極的に評価されていた可能性を明らかにする。本作は、高さ390cm、横幅267cmの長方形になるように接ぎ合わされたポプラの板に油彩で描かれている(注3)。画面の大半が人物像で占められており、その総数は46名にのぼる。本作の文学的典拠は『新約聖書』「ルカによる福音書」第2章6-20節であり、このことは画面上部に密集して宙を舞うプットーたちが持つ白い銘帯に書かれた一節から明らかである(注4)。画面右端では羊飼いと彼らにお告げをする天― 154 ―― 154 ―
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