鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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使が描かれている。前景では画面下三分の二を人物像が占めており、「キリストの降誕」と「羊飼いの礼拝」場面が描かれ、その中心では生まれたばかりのキリストを礼拝する聖母マリア、その背後からキリストを指さす聖ヨセフが描かれている(注5)。聖家族の周囲では、羊飼いや救世主降誕のうわさを聞いて集まった数多くの観衆がキリストを観ようと折り重なるようにして身を乗り出している。本作はピサのサント・ステファノ騎士団教会に設置するために、フィレンツェ公コジモ一世・デ・メディチから画家へ1560年代前半頃に注文されたと考えられている(注6)。本作の正確な注文時期は分からないが、コジモと画家が交わした手紙からは、この作品がおそらく1564年から65年にかけて制作されたと推測される。コジモへ宛てた1564年4月15日付の手紙で画家は、問題無く板絵の制作が続けられていると進捗を報告している(注7)。その翌年1565年1月15日の画家へ宛てた手紙のなかでコジモは、「騎士団の教会の祭壇のために制作されている降誕を描いた板絵」は、ブロンヅィーノとも親しかった画家・建築家ジョルジョ・ヴァザーリの監督下で建設中の「新しい教会[サント・ステファノ騎士団教会]が完成するまでの間、現在の保管場所である古い教会に差し当たり置いておくのが良いだろう」と提案し、その板絵をアルノ川を使ってピサへ運搬するように指示している(注8)。これらの手紙の内容から、「降誕を描いた板絵」は遅くとも1565年1月上旬頃までに完成していたことがわかる。この手紙の後、板絵は「古い教会」にしばらくの間置かれ、ヴァザーリがデザインした額縁がピサに到着した1570年6月以降、現在の騎士団教会左側廊第二祭壇に置かれたと推測される(注9)。この騎士団はコジモが1562年に創立し、その本拠地として1565年4月17日に騎士団教会建設が開始された。つまり、教会の建設に先立って板絵の制作が画家に依頼されたのである。このことから、画家が祭壇画制作の注文を受けた時点でコジモは教会全体のプログラムを構想し、フィレンツェの文化的・美術的優位を喧伝することを意図していたと考えられる(注10)。このようなコジモの意図を実現するために、ヴァザーリがこの教会の建築および内装、そして主祭壇の装飾に大きく関わっていた(注11)。ヴァザーリは、1568年に出版された『美術家列伝』のブロンヅィーノに関する伝記において、この画家と自身の仕事について言及している。[…]その後公爵はブロンヅィーノへ、二枚の大きな板絵を制作するよう命じた。[…]もう一枚[の板絵]はサント・ステファノ騎士団の新たな教会のためのも― 155 ―― 155 ―

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