鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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⑯ 日本におけるアール・ブリュット観の変遷─1990年代以降の3つの出来事との関連から見る─序研 究 者:成城大学 非常勤講師  匂 坂 智 昭アール・ブリュット(art brut)とは、1940年代中頃にフランス人芸術家のジャン・デュビュッフェによって命名された言葉で、精神病患者、受刑者、独居高齢者等の、芸術界の外側の人々による芸術だと一般に考えられており、英語圏ではアウトサイダー・アート(outsider art)と訳されている。これは欧米では主に芸術の領域で展開していったが、日本では障害者福祉と関わりつつ展開したこともあり、欧米とは異なる、いくぶん福祉色の強い、やや特殊な理解が現在ではされている。だが、必ずしも受容され始めた当初から、そのようなアール・ブリュット観があったわけではない。このような福祉的な見方が形成されていく過程については、服部正が詳細に論じている(注1)。だがそこではその転換点に力点が置かれており、その前後の時期にどのように理解されていたか詳細に語られてはいない。そこで本稿は、日本においてアール・ブリュット/アウトサイダー・アートの受容が本格的に始まったと考えられる1990年代以降の3つの出来事、1993年の「パラレル・ヴィジョン」展、2010年前後の海外での「日本のアール・ブリュット」の展覧会である「ジャポン」展と「アール・ブリュット・ジャポネ」展およびそれらの国内展、そして東京2020オリンピック・パラリンピックに伴う東京都によるアール・ブリュット振興に焦点を当て、日本でどのようなアール・ブリュット観が形成されてきたか明らかにする。1.「パラレル・ヴィジョン」展「パラレル・ヴィジョン─20世紀美術とアウトサイダー・アート」展はロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムが企画し、日本では1993年に世田谷美術館で開催された。同展はアウトサイダー・アートが20世紀美術に与えてきた影響を示そうという意図のもとに企画され、一般的な芸術家の作品と「アウトサイダー」の作品が並べて展示された。デュビュッフェらのコレクションをもとにして設立されたローザンヌのアール・ブリュット・コレクションを別にすれば、かつてない規模でアール・ブリュット/アウトサイダー・アート作品が展示された同展は、日本でのその認知の拡大に大きな影響を及ぼしたと考えられている。― 164 ―― 164 ―

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