鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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同展開催にあたり国内展ではシンポジウム「アウトサイダー・アートを考える」と「日本のアウトサイダー・アート」と題した展示が行われた。これらは「パラレル・ヴィジョン」展を機に、アール・ブリュット/アウトサイダー・アートが国内で主体的に論じられるようになっていったことの表れだと思われる。ではその時、それはどのようなものとして捉えられていたのだろうか、「日本のアウトサイダー・アート」を例に見てみよう。「日本のアウトサイダー・アート」では日本人の作者によるこの種の作品として、古賀春江(注2)、草間彌生、山下清、渡辺金蔵、坂上チユキ、小笹逸男、福村惣太夫、吉川敏明の作品が展示された。同展を担当した学芸員の塩田純一は、作者について次のように述べている。すなわち、アウトサイダーの多くは正規の美術教育を受けていない。彼らは超自然的な啓示に感応し、時には心に病を抱え、知的な障害を有し、非日常的な精神の圏域を彷徨う。[中略]彼らの住まう外部とは、言い換えれば精神の内奥、闇に包まれた内なる『外部』にほかならない。(注3)塩田は「超自然的な啓示に感応」した人々、精神病患者、知的障害者らを「アウトサイダー」と想定し、彼らは「非日常的な精神の圏域を彷徨う」人々で、「精神の内奥」という「内なる『外部』」の住人だと述べている。ここでは、「アウトサイダーの多くは正規の美術教育を受けていない」とされており、彼らは美術制度の「アウトサイダー」であることが示唆されているように見える。すなわち彼らは、美術制度の「アウトサイダー」であり、かつ、「精神の内奥」という「内なる『外部』」の住人という「アウトサイダー」だということである。ところが草間についての説明を見ると、「外部」の問題はより錯綜したものに思われる。塩田は、草間は美術制度の内側にいる点において「インサイダー」であると同時に、精神病を患っている点において「アウトサイダー」であり、精神疾患という代償と引き換えに「『外』と『内』とを往復する自由」を有しているとしている(注4)。草間は「インサイダー」かつ「アウトサイダー」だというわけだが、ここで重要なのは、美術制度の点から見た場合「インサイダー」であるにもかかわらず、精神病の点から見た場合「アウトサイダー」であるがゆえに、草間の作品は「日本のアウトサイダー・アート」に出品されているということである。つまり「アウトサイダー・アート」は、美術制度の外側であるという以上に、何よりも「内なる『外部』」― 165 ―― 165 ―

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