ル・ブリュット・コレクション所蔵作品と日本人による作品が並べて展示されたことである。これはNO-MAがアール・ブリュット・コレクションに提案したもので、当初は拒否されたが、最終的に双方が納得のいくかたちで展示されることになった。NO-MAのアートディレクターのはたよしこは、このように展示することで、「その『表現』が洋の東西を超えて人間の共通普遍的な力として立ち現れてくるのではないかと考えた」(注7)と述べている。ペリーも同じように、日本の作品とアール・ブリュット・コレクションの作品に「共通点」(注8)を見て取っている。そしてそれが、両者の作品を一緒に並べて展示するという形式において、実際に示されたのである。このようにこの展覧会は、日本人によるアール・ブリュットがアール・ブリュット・コレクション所蔵作品と同等の芸術であるという意識をもたらしたと言えるだろう。続いて、「アール・ブリュット・ジャポネ」展について見ていこう。この展覧会はパリのアル・サン・ピエールで2010年3月24日から2011年1月2日まで開催された。入場者数は12万人を超え、多くのメディアがこの展覧会を取り上げた。また2011年から2013年には、日本国内で凱旋展が開催された。アル・サン・ピエールのマルティーヌ・リュザルディは「ジャポン」展を訪れ、日本のアール・ブリュットに興味を持った。彼女はより大規模な展覧会の開催をNO-MAにもちかけ、検討の結果、アル・サン・ピエール主催での開催が決まった。リュザルディは2009年5月に来日し、NO-MAがあらかじめ絞り込んだ作品の中から出展作品を選定した。その選定の基準、理由を聞かれた際、「美しいものを選びました。社会学的、また病理学的な見地ではなく、ただ『美』という視点で選んだのです」(注9)と彼女は言っている。また「判断基準はあくまで芸術性であるべきだ」(注10)と述べているように、彼女はアール・ブリュットをあくまで美、あるいは芸術の枠内で捉えており、パリでの展覧会もそのような考えが反映されたと考えられる。その一方で彼女は、「日本においては、アール・ブリュットへの関心は、障害者の社会的認知度を高めようとする努力と結びついて広がっています」(注11)と、欧米とは異なる日本の状況について言及している。「アール・ブリュット・ジャポネ」展にも携わった北岡は「ジャポン」展の際に、「この展覧会が福祉的に論じられるのはまったくの的はずれだと思いますが、『美術』という境界にのみ当てはめて議論をされるのも何処かに不自由さを感じてしまいます」(注12)と述べている。このように日本国内では福祉的観点からアール・ブリュットについて語ろうとしていたと考えられる。― 167 ―― 167 ―
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