鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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このような傾向は、滋賀県による国へのアール・ブリュット振興の政策提言にも見られる。県は2010年から数回提言を行っているが、そこで「作者」として念頭に置かれているのは知的障害者であり、アール・ブリュット振興とはすなわち障害者芸術振興であるかのように語られている。これは、例えば2013年5月29日付の提言で、県のアール・ブリュット振興の取り組みとして「障害者の造形活動の推進」(注13)が挙げられていることからも明らかだろう。服部も論じているように、「アール・ブリュット・ジャポネ」展の凱旋展を契機に「障がい者アート=アール・ブリュットの図式」(注14)が形成されていったのだが、この時期に形成されたアール・ブリュット観にはもうひとつ注目すべきものがある。滋賀県は2011年6月に「アール・ブリュット発信検討委員会」設置し、計5回の委員会の後、2012年2月に報告書がまとめられた。その中で注目すべきは、アール・ブリュットを通して、「異なった領域や様々な立場の人々がつながる可能性」(注15)があるとされていることである。つまりアール・ブリュットには「つなぐ力」がある、人と人をつなぐとともに、芸術や福祉はもちろんのこと、教育や観光など、幅広い分野をつないでいく力があるということである。このようにアール・ブリュットは、ある種の社会福祉運動としてもみなされるようになったと考えられる。3.東京2020オリンピック・パラリンピック東京都は2015年に「東京芸術文化評議会アール・ブリュット検討部会」を設置し、2017年には報告書がまとめられている。同検討部会会長の日比野克彦は、「年齢や障がいの有無、国籍や文化の違いなどに関わらず、あらゆる人々が互いの価値観を尊重しあう、ダイバーシティの推進に、アール・ブリュットは大きく寄与するものと考えられます」(注16)と述べている。またアール・ブリュット振興事業の一環として、「渋谷公園通りギャラリー」が2017年に開設され、2020年にグランドオープンした。そのウェブサイトでは、「アートを通してダイバーシティの理解促進や包容力のある共生社会の実現に寄与するために、アール・ブリュット等をはじめとするさまざまな作品の展示等により、一人ひとりの多様な創造性や新たな価値観に人々が触れる機会を創出します」(注17)と述べられている。上述の報告書と同じ趣旨の内容であるが、ここでは「ダイバーシティの理解促進」に加え「包容力のある共生社会」という文言も見られる。さらに、この施設のウェブサイトのドメインが“inclusion-art.jp”となっており、“inclusion”(包摂)もアール・ブリュットに期待されているものと考えられる。このように、アール・ブリュットはダイバーシティ、包容力のある共生社会、包― 168 ―― 168 ―

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