絵本「住吉物語」にもみられ、その本文末尾には「源小泉/大和大極」(朱陰刻)「烏丸通桜馬場町/御絵双紙屋/大和大極」(朱陽刻)という2つの印記があり、さらに本文の筆跡は朝倉重賢によるものとされる(注8)。朝倉重賢とは江戸前期の寛文・延宝年間(1661~1681)頃に、奈良絵本・絵巻の詞書を書いていたとされる人物である(注9)。また、奈良絵本「住吉物語」は「小泉」という絵草紙屋の制作ではないかとみられている(注10)。旧稿(注11)において、安城市歴史博物館蔵の絵巻「たなはた」(注12)をとりあげたが、その上巻最終段の絵および下巻最終段の詞書の左下隅には朱文重郭円印「小泉」、朱文重郭長方印「蔵宝蔵 七左衛門尉 安信」、朱文壺印(印文不明)といった押印が確認された。石川氏によると、これらの印のうち「小泉」「蔵宝蔵 七左衛門尉 安信」の印を有する絵巻作品にはいくつかの類例が存在するという(注13)。そのひとつが慶應義塾図書館蔵の絵巻「ともなか」(注14)であり、詞書筆者は朝倉重賢とされている(注15)。稿者は両本の比較検証から、安城市歴史博物館蔵「たなはた」を朝倉重賢の揮毫であるとみなし、「たなはた」と「ともなか」は詞書筆者を同じくする同一工房の作であると結論づけた(注16)。そこで、以下では石川本の詞書の書風を、これら両本と比較してみたい〔表1〕(注17)。まず「心」であるが、石川本にみうけられる弧を描くような払いの形状は「たなはた」や「ともなか」と同じであり、3本間で近似している。続いて連綿の字体をみてゆくと、「たてまつる」では筆勢や字形の類似が顕著である。また「きやうたい」において3本を比べると、「や」、「う」の彎曲の具合などに共通性がみとめられる。以上、紙面の都合もあって比較のために抽出した文字はごく僅かではあるが、3本とも伸びやかな書風を示しており、筆致や形態からみて、これらは同じ人物が筆を執ったものとみてよいであろう。既述のごとく、「ともなか」の詞書筆者は朝倉重賢であるとされることから、「たなはた」も、そして石川本も同じく、朝倉重賢の揮毫とみられる。なお、3作品の挿絵を比較したところ、異なる画風上の特徴が随所にみうけられた。すなわち、これら3作品の挿絵はそれぞれ別の画家によって描かれたことがうかがえるが、詞書筆者は同一であり、石川本の制作時期は朝倉重賢の活躍期からみて、江戸前期の寛文・延宝年間頃と推定される。― 173 ―― 173 ―
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