注⑴ 「天稚彦」が登場する物語は、松浪久子氏によって「七夕草子系」「天若物語系」の2系統に分類されている(松浪久子「七夕」解説〈松浪久子・岩瀬博編『七夕・鶴のさうし』和泉書院影印叢刊54、1986年〉283頁)。本稿でとりあげる御伽草子「天稚彦草子」は「七夕草子系」に属す。「天稚彦草子」の内容は、次のごとくである。 ある長者が、娘との婚姻を蛇に要求され、3人娘のうちの末娘が嫁ぐ決意をする。末娘の京大美学本〔図3-5〕の画中には鬼神の姿はなく、川を隔てて乗雲の天稚彦と娘が向かい合う様が描出される。天稚彦と娘は、いずれも唐装の姿で、頭光をつけている。これは、天稚彦は菩薩の、娘は観音の化身であったとするテクストに対応したものであり(注31)、天の川誕生ではなく、天稚彦と娘の逢瀬を描いたものと解せられる。のこるパリ本、仙台市博本〔図3-6〕、静嘉堂本では、いずれも母屋内に唐装の天稚彦と袿姿の娘が坐し、その前の廂に鬼神が跪き、床は異郷的な市松文様の石畳としている。これら3本では唐風の御殿内で娘に語りかける天稚彦と、鬼神の姿が描かれていることがわかる。以上の検討から、天稚彦と娘の両人を、頭光をつけ、雲に乗る唐装の姿であらわしたものは石川本と京大美学本だけであり、両本は長文系諸本のなかでは共通性がみとめられるといえよう。おわりに本稿では、まず「天稚彦草子」長文系詞書を有する絵巻である石川透氏蔵「七夕」は、慶應義塾図書館蔵「ともなか」、安城市歴史博物館蔵「たなはた」と詞書筆者を同じくするものであり、制作時期は江戸前期の寛文・延宝年間(1661~1681)頃であると指摘した。次に本絵巻の場面選択・図様を、他の長文系絵画作品諸本と比較した結果、形態は絵巻でありながらも、冊子本群との影響関係がうかがえ、ことに京都大学文学部美学美術史学研究室蔵「たなはた」(京大美学本)と類似する箇所がみとめられた。稿者は旧稿(注32)において、京大美学本は場面選択・図様において冊子本群のなかで特異な表現がみうけられることから、長文系冊子本展開の多様性を示唆するものと位置づけた。しかしながら本絵巻と京大美学本との近接した関係は、両本の属する一系統の存在を想定させるものであり、その意味において本絵巻は、きわめて重要な意義をもつ作例であるといえるであろう。― 177 ―― 177 ―
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