鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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という(注10)。また明治30年代から盛んに発行されていた教育掛図の原図を手掛けていたことも判明している(注11)。当時、教育掛図の発行で名を馳せた東京造画館から掛図《甲殻類正図》〔図2〕が発行されたのだが、右上部に「理学博士藤田経信先生閲/農商務省水産講習所画工伊藤熊太郎先生原図」とあり,伊藤が原図を手掛けていた。掛図の校閲をした藤田は,明治30年(1897)に水産講習所技師兼水産調査所技師となり(注12),伊藤と経歴が重なる。東京海洋大学作成の年表で指摘されるように(注13),藤田による明治32年(1899)発行『水産講習所試験報告1(1)』(注14)および明治36年(1903)発行『日本魚類図説』(注15)の図を伊藤が手掛けていることから,藤田がかかわる図版を使用したものと考える。明治40年(1907)に伊藤は日本人画家としてアルバトロス号に乗船することとなる。米国魚類委員会が所有していた汽船アルバトロス号は、海洋調査を目的として建造された世界発の船であり、明治40年(1907)から3年にわたってフィリピンとその付近の島々の水産資源の調査を行った(注16)。当時の標本写真の技術は未発達の状況で、画家を雇用し描かせていた。伊藤は明治40年(1907)12月2日、日本からマニラに到着しアルバトロス号に乗船して数カ月を過ごし、本稿で扱う無脊椎動物の図を描写した。明治43年(1910)にはアルバトロス号乗船中の下絵を完成させるためにワシントンDCに招かれた。帰国後、伊藤は『日本水産動植物図集』などを手掛けたが、帰国後の経歴はほとんど不明であり没年は判明していない。3.伊藤熊太郎によるアルバトロス号での図版について伊藤はアルバトロス号で採集された魚類のほか、無脊椎動物の図を多数描いており、ポール・バーチュ(Paul Bartsch,1871-1960)のノート『1908年頃、アルバトロス号フィリピン遠征で採集された標本ノートと説明文』(以下、ノートとする)に貼付されている。ノートは縦297mm横226mm厚さ21mmであり、全153頁すべてに頁番号が付されている。ノートにはバーチュによるアルバトロス号フィリピン遠征での無脊椎動物(ウミウシ)に関するフィールドワークの記録と、伊藤による詳細なスケッチが収録されている。伊藤の図はそれぞれ和紙や洋紙に鉛筆や水彩で細部まで精緻に描かれ、ノートに貼り付けられるか挟みこまれている。伊藤は図とともに標本の外観や日付などを日本語で表記している。伊藤の図版数は59点であり、これらをまとめたものが〔表1〕となる。55点は薄い和紙に描かれているが洋紙に描かれた図も4点ある。伊藤が描いた紙の寸法はそれぞ― 186 ―― 186 ―

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