れ異なり、予期せずに裁断された図もある。たとえば№26には「左図ニ同シ」という伊藤のメモ書きがあるが、ノートには左図がなく、おそらくバーチュが裁断して貼付したのだろう。これらのノートの図版は鉛筆や水彩でスケッチのように描かれたものもあれば、細部まで丁寧に描かれた水彩画もある。№5および№13を除き、のちに伊藤によってイラストレーションボードのような厚い紙に水彩で清書されている。つまり清書することを前提としたスケッチであったため、情報としての手書きメモがある。伊藤によるメモを見ると、№10に「四十一年二月十八日/清書ハ2/1」とあり清書は2倍の大きさで描くことをメモしたことがわかる。№21には「サシ/淡クス」とあり、清書の際には淡くするというメモであろう。伊藤による手書きメモをみていくと、№2の「四十一年二月十六日」からはじまり№53「五月十八日」までの3か月の期間の日付が墨や鉛筆で記載されている。そのほかに異なる筆跡で日付を加筆している図版もあり、標本の採取日を示している。採取日と伊藤による日付は異なる場合もあることから、伊藤が書いた日付は「図を描いた日」である可能性が高い。№45~49のように多い日には1日に5枚のスケッチを描いていたと考える。現在、アルバトロス号で採集された無脊椎動物の標本は確認されていない。そのため伊藤の図版は現存する唯一の記録となっている。Gosliner(2006)によれば、伊藤の絵の科学的な正確さは一般に目を見張るものがあり、図の大半は種まで同定することができるとしており(注17)、特定された種を〔表1〕に記載した。4.伊藤熊太郎の図版について以下では伊藤による図版(№1~59)のうち、特徴的な図について述べていく。№1は側面図と斜め後方から見た図の2点が描かれている。鉛筆で部分図を描いているがまだ線に弱さがみられる。№2は鉛筆で薄く描いた輪郭線が残っている。桃色や褐色のグラデーションで立体的に描こうと試みていることがわかる。№3〔図3〕も鉛筆で薄く描いた輪郭線が残っている。赤色の体色に不透明な白い縦線が多数描かれている。白い縦線は強く描かれ、濃い赤色で縁取りがなされている。全体も白色の線で縁取られ、さらに繊細な赤色の線で縁取られている。№7は全体を細かな点描で描いているため体表は細かい粒状であることがわかる。濃い褐色を使用することにより体表に穴があることが表現されている。突起物は繊細― 187 ―― 187 ―
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