鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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しらったものとして分類したこの意匠は、音丸耕堂の特徴的な意匠の一つとなって、翌年第6回新文展に出品された《彫漆椿文手箱》や、重要無形文化財保持者に認定された後、昭和53年(1978)技術記録映画のために制作された《彫漆布袋葵文手箱》等様々な作品が制作される。器物の形にとらわれず、モティーフを単純化し過ぎていない絵画的な側面がある一方で、例えば衝立やパネルに表現された漆作品とは違って、背景とモティーフを分断せず、彫漆の技法を効果的に用いている点では工芸作品らしくもある。官展で特選を受賞することを目指しながらも、独自の意匠に辿り着いた点は特筆すべきである。第三章 意匠の源泉 伝統と革新ここまで、磯井如真、音丸耕堂の両者が、官展において当時の流行に敏感に対応し、出品作を制作していたことを、その作品の意匠から分析した。そして、それは絵画的な表現に向かっていたことを指摘した。さて、磯井如真も音丸耕堂も、自然の風景や動物、植物を写生し、図案化していくということを重要視していた。これは、現代の工芸家にとってはごく当たり前のことであるが、時代を遡ると、例えば、第二章で紹介した玉楮象谷《堆朱二重彫御鼓箱》〔図2〕は、下絵を狩野永笑親信(注14)が描いている等、図案が別にあるということは珍しいことではなかった。しかし、明治維新を迎え、新しい工芸の担い手となった彼らは、自身が見て描いたものを図案化していくことが求められていた。音丸耕堂は、竹内栖鳳門下の穴吹香邨に絵画を学び、また掛軸や画帖等の絵画作品も残している〔図6〕。磯井如真はよくモティーフとして作品に取り入れた鳥を詳細に描いているし、《冠鶴之図スクリーン》(昭和27年[1952])については、その姿をスケッチしに動物園へ行ったというエピソードも残っている。現存するスケッチブックを確認すると、磯井如真の作品としばしば登場する鳥類のスケッチは特に多い〔図7〕。鶏のスケッチを数点確認した〔図7〕が、これは、《乾漆壺》(注15)〔図8〕の図案のもとになったものである。鶏が桑畑を歩く様子を図案化して表現した本作だが、簡略化された鶏の動きも、実物のスケッチから生まれたことが理解できる。この《乾漆壺》は昭和28年(1953)第9回日展に、《冠鶴之図スクリーン》は第8回日展に出品された作品である。その一方で、伝統的な図案を踏襲した作品にも注目したい。昭和30年(1955)第2回伝統工芸展(注16)に出品された《蒟醤龍鳳凰文八角香盆》(東京国立近代美術館蔵)は、竜と鳳凰という東アジアで伝統的に描かれた題材を選んでいる。磯井如真は、― 199 ―― 199 ―

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