② 江戸名所絵本における風景表現の研究研 究 者:法政大学 文学部 教授 小 林 ふみ子はじめに今日、われわれが想像する「江戸」は、描かれた「名所」表象の集合体であろう。多くの作品のうち、「美術」としては、肉筆による絵画類が重視されてきたが(注1)、近世における影響力の点において、板行されて普及した絵本や一枚摺の存在は無視できない。その名所表象は、近世初期の名所記の挿絵に始まる。筆者・画工未詳『色音論』(改題本『吾妻めぐり』、寛永20年〈1643〉刊)、浅井了意作・画工未詳『江戸名所記』全7巻(寛文2年〈1662〉刊)、近行遠通作・菱川師宣画『江戸雀』12巻(延宝5年〈1677〉刊) などがそれである。18世紀なかばに西村重長『絵本江戸土産』(宝暦3年〈1753〉刊)、鈴木春信『絵本続江戸土産』(明和5年〈1768〉頃刊)が出され、以後の浮世絵師による名所絵本の先駆けとなる。同じ頃から、浮絵や銅版画の一枚絵においても名所が盛んに描かれるようになるが、本稿では一定数の名所絵をまとめて刊行する形式である名所絵本が天明(1781~1789)・寛政(1789~1801)・享和(1801~1804)の四半世紀にさかんに刊行されたという現象に注目したい。ちょうど江戸狂歌の流行によって狂歌師人口が拡大、彼らの入銀によって多くの絵入狂歌本が出された時代のことで、その主題としてたびたび選ばれたのが江戸名所であった。本稿では、「名所」の顕著な広域化が指摘される天保期の『江戸名所図会』に先んじて、この時期の江戸名所絵本においてですでにそうした現象が見られることを述べるとともに、そのなかでくり返し描かれる定番といえる名所が確立することを確認する。そこで各地にそれぞれ型とでもいうべきものが成立していたことをふまえ、その型の一部を目印のように断片的に用いたり、あえて基本の型を外した変型といえるような描き方も行われたりすることを論じていく。1.江戸名所絵本の刊行状況と「名所」江戸名所を主題とする絵本・絵入本として確認している天明から文化(1804~1818)までの作品を、旧拙稿に付載した一覧より、刊年、絵師・作品名(基本的に題簽等の外題による)のみ再掲すると以下の通りとなる(注2)。注記がないのはすべて袋綴じの冊子体である。○を付した作品は狂歌本として企画・刊行されたもので、△は一部に狂歌のあるものである。江戸狂歌の流行の拡大する時代にあって、狂歌関― 12 ―― 12 ―
元のページ ../index.html#21