⑳ ハンス・メムリンク作《受難伝》の機能についての一考察─図像源泉および巡礼者の時禱書との比較から─研 究 者:國學院大學大学院 文学研究科 博士後期課程 舟 場 大 和1.調査研究の目的初期ネーデルラントの画家ハンス・メムリンクによる《受難伝》(1470-71年、板・油彩、56.7×92.2cm、トリノ、ガレリア・サバウダ蔵)〔図1〕は、二十三場面もの「キリストの受難と復活」の物語を単独パネルに描き出した点で、従来の初期ネーデルラント絵画とは一線を画している。この特異な物語表現から、ヴィダ・ジョイス・ハルによる論文(1988年)以降、本作の機能を「霊的巡礼」と称される仮想巡礼の視覚的な補助とみなす見解が多くの研究者の間で共有されている(注1)。また近年では、ミッチ・カークランド=アイヴスの著作(2013年)に代表される、本作の表現とネーデルラントにおける宗教行列とのアナロジーについての研究も盛んに行われている(注2)。確かに《受難伝》の表現はエルサレム巡礼や行列との関連を強く想起させるが、本作に関わる現存史料の乏しさゆえに、本作を用いた「霊的巡礼」の実態は決して明らかではない。そこで本稿では、メムリンクの《受難伝》が特定の祈禱文とともに観られていた可能性を新たに提示する。まず本作を「霊的巡礼」と関係づけるこれまでの見解を整理し、先行研究における問題の所在を明らかにする。ついでネーデルラントにおけるいわゆる「霊的巡礼」の信仰実践の成立を概観し、《受難伝》研究において挙げられてきた「霊的巡礼ガイド」や巡礼記を確認する。そして《受難伝》と類似する挿絵を有する『サルッツォの時禱書』(1452年頃-65年頃、シャンベリーで制作、28×19.8cm、ロンドン、ブリティッシュ・ライブラリー蔵、MS Add. 27697)fol. 210r〔図2〕の祈禱文を基に、《受難伝》が伴っていたであろう「霊的巡礼ガイド」の存在について検討する。2.《受難伝》と「霊的巡礼」との関係まず、《受難伝》研究において、「霊的巡礼」の語がいつから用いられ始めたかを確認する。《受難伝》の機能を「霊的巡礼」と関係づける多くの研究者は、ヴィダ・ジョイス・ハルによる1988年の論文「ハンス・メムリンク絵画の有する祈念的側面」に基づいている。ハルは以下のように述べる。「メムリンクによるトリノの《受難伝》は、祈念的観想のための視覚的な補助として理解される。絵の前で瞑想する霊的巡礼者― 206 ―― 206 ―
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