鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
216/549

は、キリストの道を旅する。[中略]各自の空間で隔離されたそれぞれの出来事は、瞑想の一焦点となりうるのである」(注3)。ここでハルは《受難伝》が「霊的巡礼」のために描かれた、ということを明確に述べてはいないが、この指摘をさらに発展させた2005年の論文では、より明白に本作における「霊的巡礼」の意図を強調している(注4)。そして、《受難伝》が「瞑想の一焦点」を提供していることは、以降の研究者にも引き継がれていく。なお、ハルが最初の論文で「霊的巡礼」の語を用いた理由は以下のように推測できる。ハルは1988年の論文でメムリンク作品の祈念性を説明するに際し、14から15世紀に北方で高まった「新しい信仰(■■■■■■■■■■■■■■■)」運動に代表される、「受難」のキリストに従う「参加型信心」の例として、先に述べた引用文の直前で「ベトレム殿」の霊的巡礼ガイドを紹介している(注5)。このガイドは「ベトレム殿」を自称するフランドル人によって、おそらく1471-90年頃に執筆され、その後1536年にアントワープにて刊行された。1471年頃という執筆開始時期の想定もちょうどメムリンクの《受難伝》の完成とされる時期と重なるため、ハルはこのガイドから本作の機能を類推したのだろう。ついでバーバラ・レーンは、《受難伝》が「巡礼者のガイド」を手にしながら観られた可能性を指摘した(注6)。その根拠としてレーンは、巡礼者のガイドに記された、煉獄での滞在期間を軽減するとされる「贖宥」が得られる地点と、《受難伝》に描かれた主題が複数一致していることを挙げている(注7)。ただしレーンは特定の巡礼ガイドと《受難伝》を結び付けるまでは至っていない。3.受難劇および宗教行列とのアナロジーレーン以降の研究では、特に《受難伝》における「移動」や身体性の表現、それらの表現を支える受難劇や宗教行列との関連が強調されてきた。まずジュリア・ガースは、メムリンクの《受難伝》における写実性の役割や図像源泉、「霊的巡礼」の諸実践などについて網羅的に分析している(注8)。ガースは《受難伝》の図像源泉として、アラスなど南ネーデルラントのタピスリーや、ケルンなどドイツ西部の板絵を挙げるが、最終的には同時代の受難劇の舞台を本作の源泉とみなしている。《受難伝》の観者は、複数の舞台を併置した「並列舞台」を用いた受難劇に親しんでおり、本作における場面の同時性が現代の我々には非合理的に見えても、同時代人にとっては整合的だったという(注9)。続いて、ミッチ・カークランド=アイヴスは、《受難伝》を用いた「霊的巡礼」の― 207 ―― 207 ―

元のページ  ../index.html#216

このブックを見る