鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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実践と、ブルッヘの「聖血行列」も含めた、同時代の宗教行列とのアナロジーについて考察した。カークランド=アイヴスは、「聖血行列」が《受難伝》に直接的に影響しているとは述べるのではなく、これらの行列の持つ「移動」と「停止」の構造が本作と共通していることを指摘する(注10)。これらの行列は、「活人画」の舞台などを設置する「留(ステーション)」を都市の要所に設けており、それは行列が移動し続ける途中、立ち止まって祈りを捧げる地点でもあった。同様に《受難伝》を観る者も、ある時は画面上の道を動的に目でなぞり、ある時は物語場面に際して静的に祈りを捧げたと考えられる。すなわち「聖血行列」のような公的な都市儀礼と、個人的な信心業である「霊的巡礼」は、根本的には同じ心性に基づいているとみなせるのである。4.「マルチエピソード的受難風景」以上のように、《受難伝》における「霊的巡礼」は、受難劇や宗教行列とのアナロジーで論じられることが主流だった。一方キャスリン・ルディは、メムリンクの《受難伝》も含めた特定の受難図が有する景観表現に焦点を当てた(注11)。ルディは「本論文は、エルサレムの都市景観の表象を、観者の共感を促すための二つの別々のよく知られた技法、『劇的クロースアップ』および『シリアル・ナラティブ』と対比する」と述べる(注12)。この「劇的クロースアップ」とは、メムリンクによる《十字架降架の二連画(左翼)》(1492-94年)〔図3〕のように、観者に強い共感を促すため、画面から飛び出してきそうなほど人物を拡大する、祈念画における表現手法を指す。一方「シリアル・ナラティブ」とは、《ルールモントの受難》(1435年頃)〔図4〕のように、特定の場面を強調するのではなく、複数の場面を同じ大きさで配列することで、各場面の物語性を重視した祈念画の手法を指す。これらに対しルディは、「キリストの受難」にまつわる一連の出来事がエルサレムの都市景観を背景に描き出された祈念画の類型が存在することを指摘し、「マルチエピソード的受難風景」と呼んでいる。例えば、《ボルチモアの受難》(1440-60年頃)〔図5〕をはじめとして、後述する『サルッツォの時禱書』fol. 210r〔図2〕やメムリンクの《受難伝》などが挙げられている。ルディはこれらの作品について、「マルチエピソディックな受難図は、観者が入ることのできる連続した一つの世界を創出している」と述べる(注13)。つまり、この都市景観の統一性によって、視覚的に巡礼をおこなう機能が強化されているのである。なおルディは、『サルッツォの時禱書』と《受難伝》の関係については触れていない。上記の指摘はどれも重要ではあるものの、《受難伝》の一次史料に基づいているわ― 208 ―― 208 ―

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