アンセルモは《受難伝》の注文主トンマーゾ・ポルティナーリの友人でもあり、ディルク・デ・フォスは本作の表現を、「彼の息子が記述した様々な聖なる場所についての歴史的再構成のようである」と述べている(注15)。確かに、トンマーゾによる注文とほぼ同時期にアンセルモが巡礼していることは注目すべき点である。ただ彼の息子による旅行記の記述は、祈禱書や巡礼ガイドとしての性格は希薄であるため、《受難伝》との関連を探るのは難しい。6.『サルッツォの時禱書』fol. 210rの祈禱文ではどのような巡礼ガイドなら《受難伝》と関連しうるのだろうか。報告者は、『サルッツォの時禱書』fol. 210r〔図2〕の祈禱文がその手掛かりになると考える。前述のように、ルディはこのfol. 210rと《受難伝》を仮想巡礼を目的とした祈念画の類型として挙げてはいるものの、両作を図像的に結び付けることはしなかった。以下では、《受難伝》と『サルッツォの時禱書』fol. 210rの図像的な共通性を確認したうえで、ルディによる祈禱文の分析を参考にしつつ、新たに《受難伝》とこのfol. 210rの祈禱文との関係を考察する。報告者はかつて、《受難伝》と『サルッツォの時禱書』fol. 210rの挿絵との場面比較〔図6〕を試みた(注16)。両作の図像比較の結果、主要な場面配列の縦横が90度異なるとはいえ、「最後の晩餐」から「復活」までの八から九箇所に主題的一致が見られた。欄外も含む全体の場面選択においては、十六から十七箇所の一致が確認できた。これらのことから報告者は、看過できない差異が認められるものの、両作には何らかの図像的な影響関係があると推定した(注17)。さて、『サルッツォの時禱書』fol. 210rの祈禱文は、ヨハネ福音書19章の冒頭、「この時、ピラトはイエスを捕らえ、彼を鞭で打たせた(“In illo tempore. Apprehendit Pylatus Ihesum et flagellavit eum”)」から始まる(注18)。この祈禱文自体は時禱書において珍しくない。しかし、それに付随する挿絵との組み合わせは異例であるとルディは指摘する(注19)。ヨハネ福音書の挿絵には、伝統的に「オリーブ山の祈り」や「ユダの裏切り」、「十字架の道行」などの主題が一場面で描かれる(注20)。しかし『サルッツォの時禱書』fol. 210rでは、エルサレムとその周辺を舞台にした受難にまつわる多数の場面が描かれている。またこのfol. 210rの祈禱文とその挿絵との場面的な対応は、中央の物語挿絵の全十七場面中、「鞭打ち」、「茨の冠」、「十字架の道行」、「磔刑」の四場面のみである。このように、挿絵の場面と祈禱文の内容が部分的にしか一致していないことから、確かにこの組み合わせには特定の理由があったと思われ― 210 ―― 210 ―
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