る。そこでルディが指摘するのは、“Apprehendit Pylatus Ihesum......”から始まる祈禱文が、実際のエルサレム巡礼者が聖墳墓聖堂で唱えていた祈りの冒頭部分でもあった、という点である(注21)。このことからルディは、このfol. 210rの挿絵が、エルサレム行列の際に唱える祈禱文などを手元に選ばれたのではないかと推測している(注22)。この聖墳墓聖堂で唱えるべき祈禱文は、例えば『アンボワーズの聖フロレンティヌス聖堂の時禱書』(1460-65年頃)の巡礼者の祈りに含まれている。同時禱書のfol. 89r「鞭打ち」〔図7〕の“Apprehendit......”から続く祈禱文には、「(交唱)ピラトはイエスを捕らえる。そして柱に縛り付け、強く鞭で打った……」とある(注23)。「鞭打ち」の場面は、メムリンクの《受難伝》においても画面の中央に置かれ、明白に強調されている。さらに『サルッツォの時禱書』fol. 210rの「鞭打ち」の場面も、ルディも指摘するように、青衣の巡礼者がこの場面を指差すことで観者の注意を促している(注24)。この挿絵のなかで、指を差す巡礼者はこの場面にしかいないため、報告者はこの場面が、このfol. 210r冒頭の「鞭打ち」の祈禱文を示していると考える。また時代は下るが、この“Apprehendit......”を含む祈禱文は、注文主不明の『ストックホルムの巡礼者の時禱書』(1500-10年頃)にも現れる。この他にも同様の祈禱文を含む巡礼ガイドがいくつか存在するため、ルディはこれらの“Apprehendit......”を含む祈禱文に共通の「原典」が、エルサレムのシオン山のフランシスコ会修道院に存在した可能性について言及している(注25)。ただしルディは、ここでいう「原典」と、『サルッツォの時禱書』との関係については触れていない。それでも、この『ストックホルムの時禱書』fol. 87r〔図8〕の挿絵は注目に値する。ここには「鞭打ち」の場面ではなく、異時同図的な表現で「キリストの出現」の五場面が表されている。この連続的な物語表現には、《受難伝》や『サルッツォの時禱書』fol. 210rと同様に、巡礼との関係が指摘されている(注26)。また、画面右上にはつばの広い帽子をかぶり杖を持った巡礼者たちの姿もみられる。『サルッツォの時禱書』fol. 210r物語挿絵の左端にも、曲がりくねった道を蛇行する巡礼者たちが描かれ、視線を誘導する役割を有する。そしてメムリンクの《受難伝》においても、物語叙述に関係しない、場面の目撃者たちが視線誘導のために複数配置されている。このように、これらの巡礼者の時禱書、《受難伝》、そして『サルッツォの時禱書』の図像には、聖地巡礼に結び付く一定の関連性が存在していることがわかった。それぞれの作品が直接的な影響関係にあるとまでは言えないまでも、これらの関連性は《受難伝》の機能を突き止めるための重要な手がかりであるとみなせるだろう。― 211 ―― 211 ―
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