鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
221/549

注⑴ Vida J. Hull, “Devotional aspects of Hans Memlincʻs paintings”, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 11, No. 3, 1988, pp. 207-213; Hull, “Spiritual Pilgrimage in the Paintings of Hans Memling”, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Blick and Tekippe (ed.), Leiden and Boston: Brill, 2005, pp. 29-50.⑶ Hull, ■■■■■■■., 1988, p. 209.⑷ Hull, ■■■■■■■., 2005, p. 33.⑸ Hull, ■■■■■■■., 1988, p. 208.⑹ Barbara G. Lane, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Turnhout: Harvey ⑵ Mitzi Kirkland-Ives,■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■5), Turnhout: Brepols, 2013.7.《受難伝》に伴う「霊的巡礼ガイド」の検討以上のことから報告者は、メムリンクの《受難伝》が、本稿で確認した“Apprehendit......”から始まる祈禱文か、あるいはそれに関連する祈禱文を伴っていた可能性を新たに提示する。第一に、その祈禱文は、《受難伝》と『サルッツォの時禱書』fol. 210rとの図像的類似から、このfol. 210rの祈禱文であった可能性が考えられる。この祈禱文は《受難伝》と部分的にしか一致していない。ただしこの祈禱文は、先述の通り『サルッツォの時禱書』fol. 210rの挿絵とも一致していないため、祈禱文と挿絵が完全に一致している必要はなかったのかもしれない。第二に、それは、『アンボワーズの聖フロレンティヌス聖堂の時禱書』などにみられた、“Apprehendit......”から始まる祈禱文か、それに類する巡礼者の祈りであった可能性が考えられる。特に『ストックホルムの巡礼者の時禱書』では、挿絵に異時同図的な表現が用いられ、巡礼との関係が明白である点が示唆的だった。そのうえ、これらの“Apprehendit......”を含む祈禱文は、エルサレムの聖墳墓聖堂で実際に唱えるべきものだった。そこで《受難伝》の背景にも、同聖堂が描かれていると指摘されていることが重要な意味を帯びる。本作〔図1〕の画面左上の建築群のうち、「神殿の清め」が行われる建築の右隣に位置するひときわ大きな建築物には、上部に円形の空洞を備えたドーム建築が組み合わされているため、聖墳墓聖堂の「アナスタシス・ロトンダ」と呼ばれる円形堂を描こうとしたともみなされる(注27)。もし注文主トンマーゾが聖墳墓聖堂を《受難伝》に意識的に描き込ませたのであれば、彼は同聖堂で実際に唱えられていた祈禱文を本作とともに用いることで、「霊的巡礼」を果たそうとしたのではないだろうか。― 212 ―― 212 ―

元のページ  ../index.html#221

このブックを見る