㉑ 江戸における都市景観図の展開ならびに実景図の特質についての研究─沖一峨筆「江戸風景図額」を中心に─研 究 者:大阪市立美術館 学芸員 山 下 真由美はじめに日本絵画における都市空間を広く表現した作品として、京は近世初頭に登場した洛中洛外図が形式化しつつ長く命脈を保つ一方、徳川幕府が本拠地とした江戸は、江戸初期に「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)が制作されるもその形式が踏襲されることはなく、江戸後期に至って鍬形蕙斎(1764~1824)による鳥瞰図「江戸名所之絵」が人気を博し、以後、江戸景観図の型として多くの類品が生み出されていくこととなった。本稿で中心的に扱う沖一峨(1798~1855/61)は、江戸深川に生まれ、鳥取藩江戸詰の御用絵師となった鍛冶橋狩野家の門人で、多様な画風を展開し鳥取藩下屋敷の庭園を描いた庭園画や東海道中図などの実景を主題とした作品も手掛けた絵師である。この一峨が幕末に制作した「江戸風景図額」(個人蔵)〔図1〕は、蕙斎作品と同様に江戸の都市空間を広範囲かつ実景に即して捉えているものの、愛宕山付近から富士に背を向け、はるか房総半島まで見晴るかし、蕙斎作品とは異なる地点から見た、異なる構図を持つ希有な実景図となっている。本稿では、本作の基本的事項(どの地点から見た風景であるのか、発注者は誰なのか)について検討を加えたのち、江戸の都市景観図の展開を概観し、「江戸風景図額」の特徴を探る。そして本作の特徴のひとつである個別性の要因について、同時代の名所図会や浮世絵版画との比較および江戸の庭園画の盛行との関連から若干の私見を提示することとしたい。1.「江戸風景図額」に描かれた風景および注文主の検討「江戸風景図額」は絹本著色、64.5×194.5cmで、現在額装に仕立てられている。巻子としては縦が大きく横は短いが、画中に極めて細い金字で17の地名や社寺名が書き入れられており、ほぼ等間隔に虫喰の穴が空いていることから、制作当初は巻子として鑑賞されていたと考えられる。制作年代は落款の書体から嘉永年間(1848~54)頃と推定される。富士山を背に、江戸城を左手、江戸湾を右手に配して、江戸の景観を東方向に一望しており、近くは愛宕山や虎ノ門、遠くは佃島や浅草寺などが点在する江戸のまちと、― 217 ―― 217 ―
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