鴻之台(現在の千葉県市川市国府台)や海の向こうに見える上総の山々までが、眼前に奥行きをもって広がっているように感じられる。画は全体に抑揚や強弱の少ない筆線が用いられ、石垣や水平線、金泥の霞によって水平方向が強調された、静謐で穏やかな光景となっている。金字の書き込みのある17の地点についての詳細は別稿(注1)に譲ることとするが、その特徴として、江戸城南方の大名藩邸が立ち並ぶ地域と湾岸に書き入れが多いことが挙げられる。まず江戸城と虎ノ門前付近は、「西御丸」、「溜池」、「虎御門」、「櫻田御門」、「比日谷御門」、「幸橋御門」、湾岸には手前から「濵御殿之森」、「西門跡」、「佃島」、「三十三間堂」、「沙村出洲」、「上総」とそれぞれ6カ所の書き入れがある。本作では、江戸市中に密集する画一的な屋根や点在する火見櫓が、遠くにいくにつれ徐々に小さく描かれるほか、湾岸のランドマークも、視点から離れるにつれ大きさが短縮して描かれている。また彩色も、手前の木々や甍に一部濃彩が施されている一方、次第に淡彩が中心となっていくなど、鮮明度を変化させることで巧みに遠近を表現している。このように、透視図法や色彩遠近法を用いて、人間の実際の視覚に近い景観を表現することに意が払われており、あたかもある地点から眺めているような奥行きや広がりが、臨場感をもって感じられることとなっている。それでは本作は、一体どの地点からの眺めをもとにしているのであろうか。視点の位置を方角から確認すると、江戸城西丸が画面の左端に位置し、画面右手に愛宕山が収められていることから、江戸城南西に視点があると考えられる。そのあたりで眺望のきく場所に江戸見坂(現在の虎ノ門2丁目と虎ノ門3丁目・4丁目の境)があり、天保12(1841)~13年頃に制作された歌川広重の《東都名所坂尽くし之内》の「江戸見坂之図」〔図2〕のように、坂上から東の方角を向けば、江戸市中とその先の江戸湾を広く見晴るかすことのできる有名な坂であった。本作の画面中央手前には画中で唯一、行き交う人々の描かれた虎ノ門があり、これを南西、すなわち視点のある方向にまっすぐ進むと江戸見坂がある。本図最前景には木々が生い茂っており、坂の上からの景色とは思えないが、この江戸見坂をのぼりきり、汐見坂・江戸見坂・霊南坂の三つの坂に囲まれた高低差のある場所に川越藩松平家の屋敷(現在のホテルオークラ・大倉集古館の敷地)があり、その邸宅から見た庭越しの景色とみると自然であると思われる。そこで川越藩の資料を調査したところ、嘉永7年(1854)8月の『日帳』に、一峨が奥絵師である木挽町狩野家勝川雅信と同様に、江戸の川越藩邸に酒や料理に呼ばれている記事が確認された(注2)。本作にみる強い臨場感は、複数の遠近法を用いた自然な視覚とともに、実際に屋敷を訪れ、その庭園越しに眺めた自らの体験― 218 ―― 218 ―
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