れら以外で、5点をめやすとして描かれた地を西側から大まかに時計回りに列挙しておく。品川 御殿山 目黒不動 芝神明 愛宕 増上寺 日吉山王 高田 目白台 雑司ヶ谷 飛鳥山 王子稲荷 日暮里 湯島天神 神田明神 上野寛永寺 不忍池 待乳山 浅草寺 浅茅原 真崎稲荷 木母寺 秋葉権現 三囲稲荷 柳島妙見 亀戸天神 梅屋敷 萩寺 両国橋 日本橋 佃島 中洲・三叉 富岡八幡 洲崎弁天 羅漢堂これらに準じて、海晏寺、高輪、根津権現、駒形堂、正灯寺、牛島、吾妻森、駿河町、永代橋といったあたりも、3点以上で選ばれている。旧来の高名な大寺社とともに、景勝地、四季の花見などの行楽地が主要な「名所」となりつつあったことがあらためて確認できる(注6)。このようにいわば「江戸名所」の定番ができてくるとともに、それぞれの絵師ないし作品を企画した狂歌・俳諧師たち、あるいは版元が作品に新味を出すべく、物珍しさのある地を交えるという方向性も見いだせる。北斎の『画本狂歌山また山』が、これを制作した山の手地域を拠点とする狂歌連の意向を汲み、西向天神や関口、牛込どんど橋など、他では描かれない江戸城西北側の地の数々を取りあげたことは、比較的よく知られている例であろうか。そうした物珍しい対象としては、市中の比較的注目度の低い寺社その他の地が取りあげられるだけでなく、あわせて江戸近郊を含めかなり広域から新たな名所が見いだされつつあったことも指摘できる。たとえば、東は市川の真間の紅葉を描いた豊国画『絵本纐纈染』、西は玉(多摩)川まで含めた歌麿画『絵本蓬の島』、生田の森や堀之内妙法寺を取りあげた十返舎一九自画編『江戸名所図会』、北は綾瀬まで及んだ北斎画『みやこどり』があげられる。江戸の地誌に取りあげられる領域の拡大傾向は、菊岡沾凉による地誌『江戸砂子』(享保11年〈1732〉刊、ただし挿絵なし)より見られ、後年、斎藤月岑ら編・長谷川雪旦画『江戸名所図会』(天保5・7年〈1834・36〉刊)で顕著になることが指摘されている(注7)。浮世絵では広重の「名所江戸百景」(安政3~5年〈1856~1858〉刊)をはじめとする諸作品にあきらかに見られる傾向であったが、18世紀後半のこれらの絵本はその先蹤として位置づけられる。― 14 ―― 14 ―
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