注⑴ 拙稿「沖一峨筆〈江戸風景図額〉の特質とその制作意図について」『美学芸術学』第36号、美 一 画師狩野勝川法眼被召呼参上 御料理之間仕切 下え相通し二汁五菜之御料理吸物一肴三種⑵ 『日帳』の原本は前橋市立図書館蔵。調査は群馬県立文書館蔵の影写本(『前橋藩松平家記録』)で行った。一峨の名が掲出された『日帳』の目録名は『嘉永七甲寅年御家督 日帳 御在府』(目録番号PF811/602、603/346)で以下のように記されている。おり、池のまわりの起伏ある丘陵越しに海辺に停泊する舟の上端のみを表すことで高低差を示しながら、対岸の品川宿の町並みまでが自然な奥行きをもって描写されている。これら藩主の用命による庭園画は、摺りものとして広く知られる史蹟や名所風景とは異なり、公にはされていないプライベートな実景を対象としている。先の「因州侯庭園図」の箱蓋裏書には、「天野織人」という人物(詳細不明)が拝領した旨が記されている。将軍家や大名が所有する庭園を描かせることは、自慢の庭を描き留めておきたいという純粋な想いとは別に、通常限られた人物だけが出入りできる大名庭園を主題とした庭園画が、他者にとって特別な価値を有し、贈答品としての利用価値が高かったことも、江戸における庭園画の流行の背景にあったと考えられる。このプライベートな実景を写実的に描いた江戸の庭園画にみる風景への眼差しは、名所という形態を借りずに川越藩邸からの眺めをもとに江戸という都市を描き、低い位置に視点を下ろしてリアリティのある眺めを提供した「江戸風景図額」に通じるように思われる。注文主の個別のニーズに応じて広域な都市景観を組み立てた「江戸風景図額」は、文晁をはじめとする写実的な庭園画制作の盛行と地続きであったと言えるのではないだろうか。おわりに本稿では、幕末期の江戸においては、蕙斎の江戸景観図みられた名所の説明的要素や都の繁栄を表すために地理を大きく彎曲させることも厭わない概念的な描写とは異なり、視点をより身体に近づけた現実性の重視が表れていること、さらに名所という形態を借りずに、自らが眺めた景色をもとに広域な景観を対象化した、大名庭園を描いた庭園画にも通じる非常に個別的な実景が表されていることを述べた。今後も引き続き「江戸風景図額」に描かれた風景の解明、ならびに風景を見るまなざしについて考察を進めたい。学芸術学会、2021年3月― 224 ―― 224 ―
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