鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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㉒ ナバレーテ・エル・ムード作《聖家族》について研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士課程後期課程  河 本 真 夕はじめに─問題の所在国王フェリペ2世が建立したエル・エスコリアル修道院(以下、エル・エスコリアル)において活躍したスペイン人画家フアン・フェルナンデス・デ・ナバレーテ(エル・ムード/唖者)(1538頃-1579年)は、1571年からマドリードに滞在し、そこでエル・エスコリアルの学院(colegio)聖具室のために4点の祭壇画(注1)を制作した。そのうち本稿で取り上げる《聖家族》(以下、本作)〔図1〕は、画家がイタリア・ルネサンスの様式を取り入れた画業の円熟期に位置づけられる作品であり、これまでの研究では主にそうした様式的観点から考察がなされてきた(注2)。一方で、全てのナバレーテ作品に言えることだが、個々の図像分析に関してはほとんど進展がなく、未だ本作を扱った本格的な研究はなされていない。そうした中、J・ジャルサ・ルアセスは1970年の論文において同時代の宗教的文脈から本作の図像について検討を加えており、注目に値する(注3)。すなわちジャルサは、本作の最前景にひときわ目立つように描かれた聖アンナ像に着目し、それが同時代には不適切と判断されうるものであったことを指摘する。というのも、本作の制作時期には、ローマ教皇ピウス5世が行った教会暦改革によって聖アンナの祝日(7/26)が廃止され、聖アンナは信仰に値しない聖人とされていたのである(注4)。だがジャルサはこうした問題提起をしつつも、具体的な分析なしに、伝統的に聖アンナ崇敬の厚いスペインならではの表現と解釈しており、この点についてはさらに踏みこんで検討する必要がある。そのため本稿では、連作全体のプログラムを含めて本作の図像解釈を行った上で、同時代のスペイン宮廷、特にエル・エスコリアルにおけるアンナ崇敬の観点から本作のアンナ像の問題について考察を加えたい。1.図像的特徴─アンナ三代図と救済の概念本作ではキリストの聖なる家族が、裕福な家を思わせる部屋の中で集う場面が描かれている。中央の絨毯の上には、聖母マリアとその母アンナが椅子に腰掛けており、彼女たちは共に、マリアの膝に抱えられた幼児キリストがアンナに手渡す果物を沈鬱な表情で見つめている。マリアの側には杖を持つ父ヨアキムが、その背後ではマリアの夫ヨセフが背後の天蓋から垂れさがるカーテンをめくりあげながら、その様子を見守っている。― 228 ―― 228 ―

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