このように、アンナ、ヨアキム、マリア、ヨセフ、幼児キリストの5人で構成されるタイプの「聖家族」は「聖親族」の流れをくむ図像に位置づけられるものである(注5)。加えて、画面中央の3人の図像は、15世紀にドイツ・ネーデルラントで流行した「アンナ三代図(アンナ・セルブリット)」から借用されていると考えられる〔図2〕。V・ニクソンによると、北方の並列型「アンナ三代図(アンナ・セルブリット)」はイタリアで流行した縦列型の「アンナ三代図(メッテルツァ)」とは異なり、アンナがその救済プロセスにおいて重要な役割を果たしているという(注6)。中世末以来、北方地域において聖アンナはキリストとマリアとの血縁関係によって救済の力をもつと信じられた聖人であった。その中で特にホルバイン作品や本作にもみられるようなマリアとアンナが幼児キリストを挟んで座り、果物を差し出す身振りによって3人の結びつきを表す構図、そして聖アンナが聖母マリアとともに沈鬱な表情で幼児キリストを見つめる表現は、彼女が聖母マリアとともに救済のプロセスに参加していることを示すと解釈される(注7)。そもそも本作は、「パトモス島の聖ヨハネ」《羊飼いの礼拝》《キリストの笞打ち》とともに連作を成し、これら4点全体で聖母の無原罪懐胎から救世主の誕生、そして受難というキリスト教の根本的な教義を表していると考えられ、その中で本作は、アンナからマリアを通じてキリストへと至る人類救済のプロセスを視覚的に明示する役割を持っていただろう(注8)。このように本連作のプログラム全体をみると、ここを使用する学院の学生たちへの教化が意図されていることが窺える。だがすでにこの時期には、マリアの無原罪懐胎が「黙示録の女」や「トータ・プルクラ」などマリア自身の姿のみで表される作品が現れ始め、アンナそれ自体の役割が後退していくことを考慮すると、先に述べた本作のアンナ像に対してはさらなる検討が必要である。ここで手がかりとしたいのは、本作のアンナ像の後ろに描かれた人物の存在である〔図3〕。カーテンの陰に潜むように描かれており不鮮明ではあるが、白い肌にヴェールを被った女性が聖家族を覗き見ている様子が確認できる。この女性像については1987年にT・デ・アントニオ・サエンスが博士論文でその存在について触れているほか言及はなく(注9)、これまでほとんど注目されてこなかった。だが、ヨセフがこの女性像に鑑賞者の注意を促すような身振りをしていることや、全体の構図上のバランスを考慮しても、本作において看過できない要素であることは間違いないだろう。特に、前景に表された聖家族とは距離を置いた所から彼らを覗き見るというこの人物の身振りは、例えばメムリンクによる《マギの礼拝》〔図4〕(注10)に見られるように、この聖家族に対して加護を求める同時代人の表現であることが指摘できる。後に― 229 ―― 229 ―
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