述べるが、ナバレーテは聖具室のための他の作品において、表される聖人像に崇敬を寄せる同時代の祈祷者像を画面端に描きこんでおり、こうしたことからこの女性像は、本作が働きかける主な対象がそこを訪れる女性であったことを思わせる。しかしながら、エル・エスコリアル修道院の聖具室という限られた人にしか入ることの許されない場所において、想定される女性観者とは一体誰であろうか。そこで本稿において注目したいのは、本作が注文されたのと同じ時期にスペインに輿入れした王妃がまさにアンナの名をもち、この聖人に私的信仰心を抱いていたことである。これを踏まえて次章では、ナバレーテによる連作4点の中でも特に「聖家族」という主題をもつ本作が、王家の宮殿を併設するエル・エスコリアル修道院という場においては、救済プロセスの視覚化という意味に加えてまた別の意味を内包していた可能性を検討したい。フェリペ2世は3番目の妻であったイサベル・デ・ヴァロアが没した2年後の1570年、オーストリア・ハプスブルク家のアナ(ドイツ名アンナ)をスペイン宮廷に迎える〔図8〕。この王妃はフェリペ2世のそれまでの王妃たちと比較すると外交上あま2 .祝婚画としての「聖家族」─フェリペ2世とアナ・デ・アウストリアの婚姻(1570年)キリストの聖なる家族を表した「聖家族」や「聖親族」は、15世紀にヨーロッパで普及して以来、その時代の家族の姿を投影しながらキリスト教信者の理想的な家族像として受け入れられ、特に一族の結束や繁栄を願う王侯貴族によって結婚・出産の贈答品に頻繁に選択された主題であった(注11)。最も有名な作例としてはミケランジェロの《トンド・ドーニ》(1504-06年、ウフィツィ美術館)が挙げられるが、そのほか神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世によって為されたハプスブルク家とハンガリー・ボヘミア王家の二重結婚の際に制作されたシュトリーゲルの《マクシミリアン1世とその家族》〔図5〕がある。この作品は皇帝一家の肖像が「聖親族」の姿を借りて表されており、それぞれの頭上には金地で聖家族の名が冠されている上、裏面には《聖親族》〔図6〕が描かれていたことが分かっている(注12)。また、フェリペ2世の父である神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン国王カルロス1世)とポルトガル王女イサベルの結婚の際にも、イサベルが聖母マリアとして表された《カール5世とポルトガル王女イサベルの紋章のある聖家族》〔図7〕が制作されており、聖なる家族を模範としていたハプスブルク家にとって「聖家族」は結婚時にふさわしい主題であったことが窺える。― 230 ―― 230 ―
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