鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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願う王侯貴族とりわけ既婚女性からの信仰を集めた聖人である(注16)。スペイン・ハプスブルク家においてもこれは例外ではなく、子どもをもうけて無事に出産することが重要な仕事であった王族女性たちが聖アンナを理想的な出産を行った聖人とみなし、その加護を求めたことが指摘されている(注17)。とりわけ、アナ王妃にとって聖アンナは自身の霊名聖人であることから、特別な信仰を持っていただろう。実際、フェリペ2世は1569年に彼女との結婚に備えて聖アンナの聖遺物を入手することをアルバ公爵に命じており(注18)、翌年4月にはドイツの都市ヴォルムスの修道院に由来する聖アンナの頭の聖遺物がエル・エスコリアルに運び込まれていることが確認できる(注19)。さらに、王妃の信仰を示すものとして注目したいのは、エル・エスコリアルの聖堂側廊にあるアンナ礼拝堂の祭壇画である〔図14〕。この祭壇画はジェノヴァの画家ルカ・カンビアーゾにエル・エスコリアル側から注文された作品であり、天使からのお告げを受ける聖アンナが前景中央に大きく配されるという特異な図像を有する。ここで注目したいのは、エル・エスコリアル修道院の造営の全貌を目の当たりにしたフェリペ2世の礼拝堂付き司祭フアン・デ・サン・ヘロニモが、その年代記においてこのカンビアーゾ作品の制作経緯について、王妃の信仰に関連づけていることである。「1583年10月末、ジェノヴァの画家ルカ・カンビアーゾが聖堂と聖歌隊席を装飾するためにこの家[エル・エスコリアル]に来た。最初に制作したのは、我らが貴婦人[マリア]の母聖アンナの1枚のカンヴァスであり、この家では彼女の祝日を祝うので、それを礼拝堂に置くためだった。そしてこれは今や天におられるドニャ・アナ王妃の願いに応えたものだったと思われている。」(注20)こうした同時代の証言に加えて、このアンナ礼拝堂は王妃の部屋から直接行き来することができる場所に作られていることからも、この時期のエル・エスコリアルにおいて聖アンナ崇敬は王妃自身の信仰と関連付けられていたことが窺える。ここでナバレーテの本作に話を戻すと、本作はその支払い記録から、1575年11月にはエル・エスコリアル修道院に完成作が引き渡され、学院の聖具室に設置されたことが分かっている(注21)。そして注目すべきはその翌年の聖霊降臨祭で王妃アナがエル・エスコリアルを訪れた際、この聖具室に立ち寄り、ナバレーテの本作を目にしていたことである。― 232 ―― 232 ―

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