鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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「1576年6月16日アナ王妃はフェルナンド王太子とともに修道院に入り、聖遺物群(注22)や学院の聖具室を訪問し、図書室を見るのに主回廊を上がった。そこから修道院の薬室、食堂へと下った(注23)。」スペイン王家の宮殿を兼ね備えたエル・エスコリアル修道院には、1571年ごろから折に触れてフェリペ2世を含む王家一族が度々滞在しており、その中でアナ王妃は聖具室に保管される聖体や聖遺物を理由にこの場所を何度も訪問している(注24)。フェリペ2世はエル・エスコリアルに約7000点以上にも及ぶ聖遺物を集めたことが知られているが、近年の研究でこの蒐集にアナ王妃が大きな役割を果たしていたことが指摘されている(注25)。例えば、彼女は1572年、エル・エスコリアルに聖マウリティウスの遺体をはじめとする貴重な聖遺物に加えて、銀製の十字架や燭台など大量の典礼用具を寄贈していることは注目に値する(注26)。もとより聖具室は聖体や聖遺物のほか、ミサで使用される典礼用具を保管するための場所であったことを考慮すると、その主たる寄贈者である王妃がここを訪れることは十分想定されたはずである。実際、エル・エスコリアルの聖具室を訪れる王族への意識は、ナバレーテが1571年に制作した《聖ヤコブの殉教》においてもみられる。当時、学院聖具室と大階段を挟んだ場所に存在した修道院用聖具室のための《聖ヤコブの殉教》は、その後景にマタモロス(モーロ人殺し)の聖ヤコブが描かれており、彼を守護聖人とするフェリペ2世とその騎馬兵隊がその画面右端に描きこまれていることはこれまでも指摘されてきた〔図15〕(注27)。本作の聖アンナの背後から聖家族を覗き見ている女性像に関しては、その描写の曖昧性からこれが誰を指すのかを特定するのは困難ではあるものの、1570年以降スペイン宮廷では聖アンナが王妃との関連で受容されていたことに鑑みれば、王家一族を称揚する主題をもつ本作のアンナ像に王妃のまなざしへの意識を読みとることはできるだろう。おわりに以上本稿では、ナバレーテ作《聖家族》が学院の聖具室において学院生にはキリスト教の根本的な教義を示すとともに、そこを訪れる王族に対しては一族の繁栄を祈念するという複数の意味を有していたことを指摘した上で、これまで問題とされてきた聖アンナ像について、1570年にスペインに輿入れした王妃アナとの関連を考察した。この王妃は近年注目されている他のハプスブルク家の女性たちのような直接的な美術パトロネージはほとんど行わず、それゆえこれまであまり取り上げられてこなかった― 233 ―― 233 ―

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