鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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の格付けで「宋人」であり、「人物 佛像 弥陀」を描く画家として記載される。以上が中世の文献における張思恭への記述であるが、その名は高く格付けられ、仏教主題の様々な作品を手がけているものの、主に着色の釈迦を描く画家として有名であったといえる。その後、室町時代から戦国の時代を抜けて江戸時代には社会が安定し、出版文化の隆盛と共に、これらの文献が写本・版本として広く普及して張思恭の名を流布させていったと考えられる。そして、この評価が近世においても土台となっていた証として、柴野栗山・住𠮷𠮷広𠮷𠮷𠮷𠮷社𠮷物𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷1𠮷𠮷2𠮷𠮷に𠮷える張思恭の記述に注𠮷したい。𠮷𠮷社𠮷物𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷は畿内の𠮷社の𠮷物を調査・記𠮷したもので、誓願𠮷に「思恭筆 薬師並十二神一幅」、「同𠮷思恭筆𠮷十六羅漢 題名𠮷成卿筆」、栂尾高山𠮷に「張思恭筆不空三蔵一幅」、東大𠮷に「白思恭筆釈迦三幅」と「思恭」の名がつく作品が𠮷点確認できる。このうち、誓願𠮷の2点には以下の朱書が付される。右二種思恭と者相見不申候、𠮷成卿も難心得候、思恭何方に而も多く候、張思恭と申傳候、東大𠮷ニ而者白思恭と書付有之候、張思恭と申者君臺観𠮷𠮷ニ所見候得共、書畫譜ニ者相見不申候、但白思恭者、書畫譜圖繪寶鑑補遺ニ小傳有之候、張白思恭別人ニ有之候哉、又者君臺観誤候哉、不分明候𠮷注8𠮷ここで特筆すべきは、張思恭の典拠として𠮷君台観左右帳記𠮷が示されていること、東大𠮷に作品がある「白思恭」という画家との混同である。朱書の「書畫譜圖繪寶鑑補遺」は中国・元時代の夏文彦による画人伝𠮷図絵𠮷鑑𠮷の補遺部分のことである。確かに、𠮷図絵𠮷鑑𠮷補遺には宋代の画家の項𠮷に「白思恭 工畫神佛」と載る𠮷注9𠮷。「白思恭」についてこれ以上のことは詳らかではないが、神仏を描く宋人画家であるため、漢籍に情報がない張思恭との混同を疑ったのであろう。𠮷君台観左右帳記𠮷を典拠としつつも、その表記を疑う学術的姿勢は𠮷𠮷社𠮷物𠮷𠮷𠮷𠮷𠮷が松平定信の命による調査の報告書だからだろう𠮷注10𠮷。とはいえ、他の画家の誤りと疑われつつも、𠮷𠮷期にいたっても張思恭は𠮷君台観左右帳記𠮷に載る画家という認識があったことが分かる。より民間に流布したであろう資料では、小川宏光氏の研究によって吉村周山𠮷1𠮷00-𠮷3𠮷𠮷和漢名筆画𠮷𠮷𠮷明和𠮷𠮷𠮷1𠮷6𠮷𠮷𠮷、月岡雪鼎𠮷1𠮷10/26-86/8𠮷𠮷𠮷和漢名筆金玉画府𠮷𠮷明和8𠮷𠮷1𠮷𠮷1𠮷𠮷に張思恭の作品とされる図が載ることが判明している― 241 ―― 241 ―

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