鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
26/549

背後に石段が描かれる)。そのなかで、喜多川歌麿『絵本駿河舞』は〔図3〕、垢離場の滝壺を画面左端に描くだけでこの地を表現している。あるいは石段を上りきったところという、独自の切りとり方をしたのは歌川豊国『絵本江戸之見図』〔図4〕であった。豊国による記号の利用でいえば、上野についても同じことが言える。不忍池と弁天堂は別格としても、清水観音堂の舞台や御成道など見どころが多い上野のなかでも、遠目にもひときわ目立ったのが中堂であろう。蕙斎北尾政美『絵本吾嬬鏡』は、これを正面から描いている〔図5〕。この図の上部に書かれた天秤坊なる人物の狂歌「碁石とも見ゆる上野の寛永寺花のしら雲かゝる黒門」は、大田南畝の有名な1首「一面の花は碁盤の上野山黒門前にかゝるしら雲」(朱楽菅江編『故混馬鹿集』天明五年刊、巻三春下)を真似たものだが、これらからは、黒門、両大師、中堂、観音堂など、立ちならぶ堂宇の黒い瓦屋根の印象の強さがうかがえる。その屋根を切りとって美人の背景としたのが豊国で、『絵本江都之見図』〔図6〕、また前年に彩色摺で出した桜・紅葉の名所絵本『絵本纐纈染』の上野でも、ほとんど同様の構図をとっている。4.定型と変型目黒不動によく似て、西村重長『絵本江戸土産』以来、長い急な石段によって表現されたのが芝の愛宕山である〔図7〕。ただし、目黒不動と異なるのは背景に海の眺望が開けている点で、蕙斎政美の『江都名所図会』〔図8〕や『絵本吾嬬鏡』、『山水略画式』、歌麿の『絵本吾妻遊』、北尾重政『絵本江戸桜』は長い石段と海上の眺望の対比で当地を捉えている。北斎『東都名所一覧』がこの石段の一部を描くかたちでこの地を表現しているのは、前節で論じた記号の切りとりであった。これらが定型といえる表現法であったのに対して、変型として石段を画面に入れることなく茶屋などが点在する山頂から海を眺める人びとを描く方式もできあがる。早く天明期、清長の中判錦絵「江戸名所集 芝愛宕」でもとられていた視点だが(注15)、この清長作品では海は人物の背景にわずかに描きこまれるに過ぎないのに対して、人物を海側に向けた姿としてその眺望のよさを強調するのが豊国『絵本江都之見図』〔図9〕、同じく豊国と推定される『絵本江戸紫』、また北斎『画本狂歌山また山』〔図10〕である。このあとの時代にさかんに出される錦絵でも、この2つの型が踏襲されていく(注16)。定型と変型の2つが併行して発達するのが、本所五つ目にあった五百羅漢寺の三匝― 17 ―― 17 ―

元のページ  ../index.html#26

このブックを見る