鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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㉔ 聖堂建築における形式と意味の伝播─13世紀のサン=ドニ修道院付属聖堂改築を中心に─研 究 者:いわき市立美術館 学芸員  德 永 祐 樹序パリの北に位置する町サン=ドニに設立され、宗教的にも政治的にも卓越した地位を有したサン=ドニ修道院の付属聖堂は、ゴシック建築史において二度に渡って重要な役割を果たした。12世紀半ば、修道院長シュジェールによる改築によりゴシック建築の始まりを告げ、13世紀半ばの改築によってレイヨナン・ゴシック様式の始まりを告げたのである〔図1〕。13世紀の改築の途中、トランセプト(交差廊、袖廊)にカロリング朝、カペー朝のフランス国王たちの墓が併置されるという霊廟プログラムが導入された。報告者はこれまでの研究において、13世紀の改築により誕生した広大な正方形平面を持つトランセプト〔図4〕の平面が、ヨハネの黙示録において記述される、「天上のエルサレム」の寸法と幾何学を参照していることを指摘した(注1)。そして、同時代のカスティーリャ王国で制作された、『ベアトゥス黙示録註解書』の写本挿絵における「天上のエルサレム」の図像が、カスティーリャ王家出身で、時のフランス国王ルイ9世(1214-1270)の母、ブランシュ・ド・カスティーユ(1188-1252)を介して平面のイメージソースとなった可能性を提示した〔図3〕。いわば、建築における図像学的解釈を試みたのである。本研究においては、さらなるサン=ドニの建築的着想源として、レオンのサン・イシドーロ聖堂に付属する王家の霊廟パンテオンを指摘する〔図2〕。11世紀、サン・イシドーロ聖堂に隣接する形で増築されたパンテオンは、レオン=カスティーリャ王家の国王、王妃やその家族の埋葬の地として、12世紀を通して用いられ、13世紀初頭の墓の配置換えによって霊廟としての最盛期を迎えた。パンテオンは、正方形平面という形式おいてサン=ドニとの共通点を持つだけでなく、同時代に王家の霊廟として用いられたという点で、注目に値する。パンテオンの建築史的位置付け、霊廟としての機能を考察し、サン=ドニのトランセプトの建築的着想源となった可能性を提示することで、聖堂建築における形式と意味の伝播について考察する。サン=ドニ修道院付属聖堂改築13世紀のサン=ドニ聖堂改築について、これまでの研究において報告者が提示した解釈を、簡単に述べる〔図4〕。改築後の平面において、古い聖堂と、所与の条件と― 251 ―― 251 ―

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