鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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新たな聖堂の構想を折り合わせた結果、内陣の平面は不規則なものとなっているものの、所与の条件から開放されたトランセプトより西の部分は、規則的で、幾何学的な平面が達成されている。それぞれの区画は、6.5メートル、あるいは13メートル、当時の単位ピエに換算すると、20ピエと40ピエの長さで構成されている。その結果、39メートル四方、すなわち120ピエ四方の広大な正方形の平面が生じている。報告者は、14世紀のルーアンのサン=トゥーアン修道院付属聖堂において、120ピエが、「ヨハネの黙示録」21章16節における「天上のエルサレム」の寸法12,000スタディオン四方を参照していると指摘した、デイヴィスとニーグリーの研究(注2)に注目し、サン=ドニのトランセプトにおいても同様の解釈が可能であることを示した。そして、天上のエルサレムが参照されていたことの1つの説明として、同時代に制作された、ベアトゥス写本の図像がイメージソースとなった可能性を指摘した。ベアトゥス写本とは、8世紀に北スペインの修道士ベアトゥスによって書かれた『ヨハネ黙示録註解全12書』を原本とした一連の挿絵入り写本群の総称で、10世紀から13世紀のレオン・カスティーリャ地方で制作されている(注3)。とりわけ、ブランシュ・ド・カスティーユの姉にあたる、カスティーリャ王アルフォンソ8世の娘ベレンゲラ(1179/1180-1246)が、1220年に制作させたと考えられている、ラス・ウェルガス写本〔図3〕(注4)を挙げ、カスティーリャ王家からフランス王家に嫁いだブランシュがその図像を知っていたに違いないと考えた。しかし、サン=ドニの改築に際して、カスティーリャ王家における写本制作が影響を与えたという解釈は、ブランシュが、ベアトゥス写本の「天上のエルサレム」の図像を実見した可能性があるという推論のみに依拠していた。また、サン=ドニの寸法を解釈するにあたり援用したサン=トゥーアン聖堂は、14世紀の作例であり、サン=ドニに影響を与える可能性がある、過去の建築作例を挙げることはできなかった。そこで本研究では、カスティーリャとサン=ドニの間の関連性をより強調して、自説を補強するとともに、過去の霊廟建築の伝統とサン=ドニを結びつけると存在して、サン・イシドーロ聖堂パンテオンを提示する。レオン、サン・イシドーロ聖堂、パンテオンサン・イシドーロ聖堂とパンテオン建設の概略と、建築史的位置付けをまとめる。紀元1000年頃、レオン王国の中心都市、レオンはイスラーム勢力からの襲撃にさらされていた。都市の復興に際して、レオン王アルフォンソ5世(在位:999-1127)は、925年にコルドバで殉教した聖人、聖ペラギウスに捧げられた修道院を、現在のサン・― 252 ―― 252 ―

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