鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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1035)、もう一人は、さらにその前、カスティーリャ伯領を治めた最後のカスティーリャ伯、ガルシア2世サンチェス(1017-1029)である。この配置変更により、レオン王家重視の傾向が強かったパンテオンは、レオン・カスティーリャ両王家の霊廟としての意味を帯びることとなり、両王位を継承する正統性を主張する必要のあった、フェルナンド3世と母ベレンゲラにとって、より説得力を持つ場所となったのである。サン=ドニにおいても、身廊の改築が続く中、1263年から64年にかけて、聖堂内に埋葬されていた歴代国王たちの遺体が掘り返され、横臥像を伴う墓が制作され、トランセプトの中に整然と並べられた〔図7〕(注12)。トランセプトの交差部の中で、南側にカロリング朝国王・王妃の8つの墓が、北側にカペー朝国王・王妃の8つの墓が対照的に並ぶ。そしてその間に、母型の先祖によってカロリング朝の血を引く2人のカペー朝国王、ルイ9世の祖父フィリップ2世と、父ルイ8世の墓が、両王家を結びつけるように並ぶ。そして、来るべき死に備えて、ルイ9世の墓のためのスペースも確保された。両王朝の墓を並置することによって、カロリング朝崩壊のあとの混乱の中で台頭し、その後徐々に権力の地盤を固めてきたカペー朝が、本来繋がりのないカロリング朝を継承する、正統な王朝であることが視覚的に明示されている。さらに、南のカロリング朝のラインに、メロヴィング朝国王クロヴィス2世の墓を加えることによって、さらなる王朝の連続性が示されている。サン=ドニにおける「カロリング朝とカペー朝の連続性」というメッセージ、パンテオンにおける「レオン・カスティーリャ両王国の統合」というメッセージの間には、類似性が見られるだろう。どちらも、王権の正統性を強化したいという政治的意図が認められるからだ。スペインにおける母ベレンゲラと息子フェルナンド3世、フランスにおける母ブランシュと息子ルイ9世は、相似的な関係にあると捉えられる(注13)。2人の母は、共にカスティーリャ王、アルフォンソ8世の娘で姉妹同士、宗教心の熱い才女で、芸術のパトロネージに勤しみ、政治的手腕をも発揮した。いとこ同士である息子たちも、ルイ9世は熱心な十字軍遠征によって、フェルナンド3世はレコンキスタの功績によって、ともに列聖され、「聖王」と呼ばれることとなる。ブランシュが、ベアトゥス写本を知っていたのと同様に、歴史あるサン・イシドーロ聖堂のパンテオンの存在を当然知っていただろう。13世紀初頭のスペインで、霊廟によって王権の正統性を主張するためにパンテオンが用いられたのと時を同じくして、同様に王権の正統性を主張する必要を感じたブランシュが、パンテオンの建築を― 255 ―― 255 ―

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