㉕ イタリア15世紀後期~16世紀初期における宗教著作の挿絵と絵画図像の研究研 究 者:東京藝術大学 美術学部 教育研究助手 平 井 彩 可15世紀末から16世紀初頭のイタリアでは、世紀末や教会腐敗に対する市民の感情を反映し、多くの宗教著作が出版された。その内容に関しては、宗教史や神学の領域における豊富な研究史に恵まれている一方で、そこに含まれる挿絵に関して美術史の観点から調査を試みた先行研究は非常に少ない。15世紀末には印刷技術の飛躍的な進歩により刊行物がメディアとして大きな存在となっていたにもかかわらず、現存する史料の少なさに阻まれ、多くのことが依然として手つかずのまま残されている。市民の関心や思潮を反映する史料である刊行物や挿絵は、絵画作品が制作された環境、特に世紀末前後の複雑な精神風土を知る上で非常に重要である。本研究は、15世紀末から16世紀初頭のイタリアにおける宗教著作に含まれる挿絵版画に注目し、そのリスト化を試みるとともに、フィレンツェを代表する同時代の画家サンドロ・ボッティチェッリ(1444/45-1510)の後期絵画作品との関連を考察するための研究である。1.印刷物に関するフィレンツェの状況と挿絵についてこの時期の状況を概観すれば、フィレンツェの印刷業は実のところ、他の諸都市に比べかなり遅れたものだった(注1)。1464年の伝来以降、印刷技術はイタリア各地に急速に広まった一方で、フィレンツェで初めて印刷物が出版されるのにはその後約10年を待たなくてはいけない。状況を劇的に変化させたのが、1481年にフィレンツェの一大事業として成されたクリストーフォロ・ランディーノによる『ダンテ「神曲」註解』の出版であった(注2)。市内に2社のみだった出版業者がこの事業をきっかけに数を増やした。とはいえ、ヨーロッパにおける印刷の中心地としての地位をすばやく確立したヴェネツィアと比べれば、15世紀フィレンツェの印刷業者は19社のみ、出版数もヴェネツィアの1/5程度である。アンドルー・ペティグリーによれば、この時期にフィレンツェで出版された刊行物264点のうち4割にのぼる100点以上が、当時フィレンツェを席捲したドメニコ会修道士ジローラモ・サヴォナローラ(1452-1498)にまつわるものであった(注3)。言い換えれば、サヴォナローラの活動によってフィレンツェの出版業が発達したとも言えるが、サヴォナローラの説教は「改革の説教」としてすぐさま印刷され市内に撒かれたことから(注4)、多くはパンフレットのようなものであったと考えられる。こう― 260 ―― 260 ―
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