鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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いった刊行物は読み捨てにされる類のもので、当時の社会情勢や市民の関心を伝える非常に重要なものでありながら、王侯貴族らの収集欲を満たす対象、コレクター品ではなかったため、印刷されたという記録が残るのみで実物は残念ながら現存せず、実態を知ることが難しいのが現実である。とはいえ、説教の内容を伝えるために撒かれた刷り物は、説教後すぐに配布される必要があったであろうから、ここに手の込んだ挿絵や詳細な図解が載っていたとは考え難い。したがって本研究が今回の考察の対象としたのは、刊行された書籍とそこに含まれていた挿絵版画である。対象とした15世紀末から16世紀初頭にかけての宗教著作のうち、挿絵を含み、かつ挿絵図版を入手できたものは〔表1〕のとおりである。もっとも多く挿絵を含む『天啓大綱』はサヴォナローラ存命中に出版されたため、修道士自身の校閲を経ていると考えるのが妥当で、内容を図示するような挿絵が多く含まれている。一方その他の出版物には、冒頭や末尾に、肖像画や象徴的な場面を描いた挿絵が配されていることが多い。基本的には著作の内容を図解する図像となっている。挿絵の作者は未詳であり、出版者が判明している場合にも、挿絵を手掛けた版画家についての情報は残っていない。たとえば出版者ピエロ・パチーニ・ダ・ペーシャ(1440-1513)はサヴォナローラの著作5版に加え、修道士の熱烈な追随者ドメニコ・ベニヴィエーニ(c. 1460-1507)の著作も出版したことで知られ、良質な木版挿絵を付すことでも評判だったという(注5)。〔図13〕からもわかるように、作品的質もしっかりしたものであるが、作者については分かっていない。ヴァザーリはボッティチェッリが自身の下絵をもとに多くの版画を作らせたと供述しているが(注6)、これについても該当する現存作品は知られていない。いずれにせよ、フィレンツェで出版された刊行物の挿絵においては複数の手が認められるが、いずれにおいても質的には一定のレヴェルが満たされていることが確認された。2.『天啓大綱』における聖母マリアの称揚サヴォナローラの説教や著作において、聖母マリアは全教徒の手本として度々言及されている。大聖堂に聖母の名を冠すフィレンツェが、特に聖母信仰が盛んな地域であることも関係しているだろう。サヴォナローラの著作『天啓大綱』(注7)には、フィレンツェ市民が聖母に与えた寓意的な王冠が示され、1496年刊行のボナッコールシ版には挿絵も付された〔図10〕。聖母の12の恩恵をあらわす冠は、ボッティチェッリの《神秘の降誕》〔図20〕(1500年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵、inv: ― 261 ―― 261 ―

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