の関連が指摘できると考える。実際に、サヴォナローラの肖像の最も知られるイメージとして受け継がれているのは、前述のフラ・バルトロメオが描いた絵画である。書斎における人物像として同時代のフィレンツェで最も知られていたのは、ボッティチェッリの《書斎の聖アウグスティヌス》〔図23〕であろう。自身の教区教会であり埋葬地でもあるフィレンツェのオニッサンティ聖堂のためにボッティチェッリが描いたこのフレスコ画は、ドメニコ・ギルランダイオ(1449-1494)の《書斎の聖ヒエロニムス》(注13)とともに、現在も同聖堂の左右の側壁を飾っている(注14)。オレンジ色のローブを纏ったアウグスティヌスが書物机の前に座し、右手を胸に当てつつ顔を斜め上に上げている。棚には様々な本が並び、司教冠のほかに、時計や幾何学図形の記されたノート、天球儀など多くのモティーフが室内に認められる。対となる《聖ヒエロニムス》にも、同様の本や学術的モティーフが並んでいる。本作品の解釈の歴史はヴァザーリに始まり、《聖アウグスティヌス》を記号的な聖画像というよりむしろ聖人の肖像画とし、理想的な学者あるいは賢者の模範的イメージと捉えた(注15)。研究者の多くがこれに倣い、たとえばハーバート・ホーンも“精神の情熱”をあらわす像と性格づけ、鋭い感性と精神を持つ賢者の性質を聖人の姿に見出している(注16)。書き物をするサヴォナローラを描いた挿絵五点〔図1、2、11、18、19〕は必ずしも図像的に一致するわけではないが、本や、砂時計や三角形の器具などの学術的モティーフを置く室内で書き物をする、という点は共通している。挿絵の制作者は未詳だが、セブレゴンディによれば全てフィレンツェの版画家だという(注5)。現存する中で最も古い例はサヴォナローラの存命中の挿絵〔図1〕であるから、図像選択や表現において修道士自身の介入があった可能性が高い。幼少期より祖父の熱心な教育を受け、フェッラーラ大学で神学を修めたサヴォナローラは、アウグスティヌスやトマス・アクィナスにも精通していたことが知られている。特にサヴォナローラは幻視を自身の説教の基軸とし、また幻視のような神秘体験を追い求めるよう弟子たちにも推奨したが(注17)、神秘体験によって聖ヒエロニムスの幻視をみた聖アウグスティヌスは、サヴォナローラのひとつの規範とも言える。実際この時期には、宗教意識の高まりにより瞑想に関するアウグスティヌスの著作が多く読まれており(注18)、この偉大な先人神学者と自身とを重ねようとしたのかもしれない。死後にも変更が加えられることなく図像が保持された点については、フィレンツェ市民の疑念と悔恨が見てとれる可能性がある。ボッティチェッリの兄シモーネの手記『クロナカ』で語られるボッティチェッリと反サヴォナローラ派のリーダー、ドッ― 264 ―― 264 ―
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