鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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フォ・スピーニの会話には、サヴォナローラ処刑に対する市民の感情があらわれている(注19)ほか、サヴォナローラの著作は様々な言語に訳され各地で刊行され続け、さらにはルターやフランスのユグノー派から評価され、後の宗教改革の先駆者とみなされることになる。あるいは、ヨハン・カーリオンの『予言』のような「世界の終末」と「ローマと教皇の破滅」を偏執的に扱う数々の預言書がドイツにおいて刊行されるのに30年先駆け(注20)、15世紀末フィレンツェにおけるサヴォナローラの教会批判に対する支持は、カーリオンの時代にやがて本格化する対抗宗教改革を先取りするものだった。市民がサヴォナローラを異端者・反逆者と捉えその存在を消そうとしていた痕跡はみられず、特に処刑後から16世紀初頭にかけてはむしろ、教会の腐敗に立ち向かった賢者として、その存在を残そうとする意識が働いていたように思われる。そしてそこで用いられたのが、フィレンツェ市民ならば目にしていたであろうボッティチェッリの《書斎の聖アウグスティヌス》のイメージだ。学術的モティーフに囲まれ書き物をする学者像のイメージという点で、ある種の言及性があるといえるのではないだろうか。《聖アウグスティヌス》と全く同じ姿勢や構図ではないにせよ、挿絵「書斎のサヴォナローラ」は、アウグスティヌスのイメージを借用することで、鋭い精神を持つ賢者としてのサヴォナローラの側面、「書斎の賢者」としてのサヴォナローラ像を伝えようとしていた可能性が指摘できるように思われる。なお、1490年頃にもボッティチェッリは《僧房の聖アウグスティヌス》を描いているが、こちらは正面観で室内の様子も明らかでないので、むしろ先行するオニッサンティ聖堂の作品がより近い図像と言えよう。5.結宗教著作に含まれる挿絵は、現存する出版物がわずかなことや公開状況の問題等もあり、未だに多くのことが分かっておらず、網羅的な研究も充実しているとは言えない。しかしながら、検討の余地を多く残すこの領域が重要なのは、挿絵と絵画作品との間に相互的な影響関係が見出せることが確認されるためである。以上で検討したように、当時知られていた絵画作品からの図像の借用が指摘できる一方、制作年代によっては、挿絵がインスピレーションとなっている場合もある。その影響の範囲は図像的な側面にとどまらず、イメージが包含する意味内容にも及んでいる。特に今回の調査では、ボッティチェッリが特定の宗教著作に影響を受けて宗教画を描いたことが補強されたと思われる。また、サヴォナローラの「賢者像」という性質の強調は、挿絵の調査によって新た― 265 ―― 265 ―

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